簡単!音楽の歴史解説<後編>(20世紀・ロマン派後期<国民学派>~現代まで)
こんにちは!
執筆者のドミトリーことドミです!
今日は音楽の歴史についての最終回です。
前編では音楽の歴史を学ぶメリットと、紀元前5000年~17世紀までの音楽について
中編では18世紀・古典派~20世紀・ロマン派までの音楽についてまとめています。
今回のその続きとなりますので、まだお読みでない方はぜひ前回、前々回の記事をお読みください。
今回はロマン派後期の国民学派の時代と近代・現代の音楽についてまとめてきます。
どんどん最近の音楽に近づいてきて、音楽の内容も大変充実している時代です。
ロマン派では歌曲や歌劇が盛んでしたが、この時代からはその流れがほかの形式にも伝搬しています。
これまでの時代よりもはるかに多種多様な音楽にあふれる時代です。
それでは行ってみましょう!(^^)/
今回の記事も水野允陽さん著の『音楽の歴史と音楽家』という本を参考に執筆しております。
音楽史の本の中で一番簡単そうなやつを図書館で借りてきました。(笑)
とってもわかりやすい本で、音楽史の入り口としては最適な本でした。
この記事を読めば、有名な音楽家たちの活躍した地域と、その時代背景について知ることができ、彼らの曲がいかに当時では画期的であるのかについて理解いただけると思います。
ーーー簡単な自己紹介ーーー
私は現在とある一般サークルのバンドで指揮者をしています。
しかしこれまで音楽の勉強を真面目にやったことがない「愚か者」でした。
ドラッカーの本を読んで、これを猛省し、現在は音楽の勉強をするようになりました。
ここでは音楽初心者から経験者まで、ご自身の音楽活動に役立つように、私が勉強したことをわかりやすく発信していきます!
⇓本文ざっくりまるわかり!目次です。
- 国民楽派の時代
- 近代・現代の音楽
- 最後に
国民楽派の時代
歌曲にあふれるロマン派の後期、19世紀の後半になって、各地方の民族の特徴を音楽に表そうとする動きが始まりました。
なかでも、ロシアには昔から多くの民謡が伝えられていて、この民謡がロシア音楽の発達に大きな役割を果たしました。
民謡は昔から伝えられている「歌」つまりは歌曲ですから、歌曲が盛んだったロマン派の中に民謡を使う動きが出てくるのは納得ですね。
特にロシアでは活発な動きだったようで、確かに有名なロシア音楽はコサックダンスの音楽のようにいかにもロシアらしい旋律がよく使われていますね。(*^-^*)
また、国民楽派の動きは非常に強力で、近代・現代にも引き継がれています。
ムソルグスキー(1839~1881)(ロシア)
ロシアの貴族のうまれで、はじめ軍人を志願しましたが、軍人をやめて作曲に専念しました。生活には恵まれず、貧しい暮らしが続きましたが、次々と作曲し、特有の作品をたくさん残しました。
ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』
Modest Mussorgsky - Pictures at an Exhibition (SHEET MUSIC)
友人画家の展覧会に行って感動し、この曲を書いた言われています。
全10曲の曲と曲の間ではプロムナードと呼ばれる短い演奏が入っていますが、
これは見ている人が、次の絵を見るために展覧会の中を歩いている様子を表しています。
このプロムナードの旋律は、ロシアの愛国歌「栄光あれ」から抜粋しているとも言われており、いかにもロシアらしいふしとなっています。
確かに少し似ていますね。
【和訳付き】栄光あれ(ロシア愛国歌)"Славься" - カナルビ付き
展覧会の絵はのちにラベルにより編曲されています。
今ではそちらのほうが有名ですね。
Mussorgsky (orch. Ravel) - Pictures at an Exhibition - Complete (Official Score Video)
過去記事にもいくつか紹介していますが、この曲もサックスが使われている少ないクラシック曲の一つです。
6:00~からの「古城」ではサックスのアリアがあり、大変美しく、優美な旋律が演奏されます。
サックス吹きなら一度は生で聞いてみたい曲ですね。
ボロディン(1833~1887)(ロシア)
ロシアのペテルスブルグで貴族の家にうまれました。音楽家としてだけでなく、化学者、教育者としても有名でした。東洋ふうなふしでよく知られ、ロシア国民額の土台を作った人です。
ボロディン:歌劇『イーゴリ公』から「ダッタン人の踊り」
Borodin - Polovtsian Dances (with scores)
12世紀ごろの古いお話です。
今でいうモンゴルあたりに住んでいるダッタン人のお話で、東洋ふうな力強い曲です。
オーケストラより吹奏楽でよく演奏される大変人気な曲ですね。(^^♪
チャイコフスキー(1840~1893)(ロシア)
ロシアにうまれ、鉱山技師の父のもとで、何不自由なく育ちました。小さいときからピアノを習いましたが、はじめは法律学校を卒業しました。しかし、グリンカやモーツァルトのオペラをいて感激し、23歳のときにペテルスブルグの音楽学校に入学し、ここでいよいよ音楽家としての勉強が始まりました。
チャイコフスキー:舞踊組曲『白鳥の湖』
チャイコフスキー - バレエ組曲《白鳥の湖》 Op.20 カラヤン ベルリンフィル
王子ジュークフリードと魔法で白鳥にされた王女オデットの恋物語です。
これは4幕のバレエ音楽から選んで、組曲にまとめてあり、6つの曲でできています。
9:53~からの「白鳥の踊り」ではまさにロシアっぽい感じを受けますね。
ちなみにほかの2曲は『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』で、どちらもチャイコフスキー作曲です。
なんと、チャイコフスキーひとりで世界3大バレエ音楽を作ったんですね。
チャイコフスキーがロシア音楽とバレエ音楽に大きな影響を与えたことがよくわかります。(*^-^*)
スメタナ(1824~1884)(チェコ)
チェコに生まれました。5歳のときには、ハイドンの四重奏団演奏に加わり、6歳でピアニストになり、しばらくリストの下で、ピアノの指導を受け、研究を進めました。リストはその天分をみとめ、スメタナを称賛しています。
スメタナ:交響詩『わが祖国』「モルダウ」
この交響詩はボヘミアの歴史や伝説をうたいだしたもので、首都ブラーガ市に捧げられたものです。
その中でも6曲目の「モルダウ」は最も美しいとされ、故郷であるチェコのモルダウ川が悠々と流れる美しさを表しています。
また、8:33~のラストではチェコの民謡である「コチカレゼディーロウ」が引用されています。
日本の民謡「こぎつねこんこん」と似ていますが、チェコではどうやら猫らしい。
私は今回調べるまで『わが祖国』の最後が「こぎつねこんこん」になっているとは全く気づきませんでした。
しかし、こうして民謡がもとになっていることを知ると、クラシック音楽もとっても身近なものであることがよくわかりますね。(^^♪
ドボルザーク(1841~1904)(チェコ)
チェコのボヘミア生まれ、16歳の時から音楽の勉強を始めた。1890年にプラハ大学から哲学博士の号をうけ、翌年にはケンブリッジ大学から音楽博士号を受けています。
1892年にはアメリカにわたって、『新世界』や『アメリカ』などを作曲しています。
1895年に祖国に戻り、プラハの音楽院で院長として音楽の教育にも力を注ぎました。
ドボルザーク:交響曲第5番『新世界』
Dvořák - Symphony No.9 in E minor, Op.95; B 178, 'From the New World'
黒人の民謡といわれる黒人霊歌の雰囲気やリズムを取り入れて作られています。
3:08~からの旋律は特に黒人霊歌を思わせるふしです。
特定の曲からの引用ではありませんが、黒人霊歌『Go down, Moses』と比較すると、雰囲気が似ていることがわかっていただけるのではないでしょうか?
Louis Armstrong-Go Down Moses (Lyrics+Download)
黒人霊歌は奴隷時代の黒人が歌っていた音楽で、黒人の民謡とされています。
今ではよく聞くゴスペルですが、これは黒人霊歌の動きが発展してできたものです。
黒人霊歌のなかでは「アメージンググレース」、「こげよマイケル」が有名です。
ドボルザークは黒人霊歌の特定の曲から旋律を引用したりはせず、黒人霊歌の音階や和声を用いた新しい旋律で「アメリカ」の雰囲気を表しています。
ドボルザークはアメリカの音楽を発展させるために、ニューヨークの音楽院に招かれてアメリカに渡りました。
田舎育ちのドボルザークはニューヨークの都会的な暮らしになじむことができませんでしたが、そんな中でも黒人の民族音楽である黒人霊歌をよく学び、
アメリカの要素を含むこの曲を書き上げました。
この曲が発表されたとき、アメリカの文化を取り入れた曲はすそうありませんでした。
当時は西部開拓時代でアメリカも注目されていたため、アメリカの要素が入っているこの曲は大変革新的で真新しく、この曲は大成功を果たします。
このようにアメリカの要素が注目されがちなこの曲ですが、
ドボルザークはかなりホームシックだったようです。
この曲は節々に故郷であるチェコの雰囲気が残っており、
アメリカの要素よりもチェコの要素のほうが強いです。
(第2楽章の旋律が特にチェコっぽい)
この記事を書くまでは、『新世界』=「アメリカ」のイメージしかありませんでした。
しかし今では、私は『新世界』=「アメリカ風のチェコの曲」と思います。
そして、チャイコフスキーのアメリカでの努力が垣間見れていい曲だなと思うようになりました。(*'ω'*)
グリーグ(1843~1907)(ノルウェー)
ノルウェーの生んだ大作曲家です。ピアニストであった母から音楽の手ほどきをうけ、15歳のときにドイツに行き、ライプチヒ音楽院で本格的な作曲の勉強を始めました。
グリーグ:組曲『ペール・ギュント』第1、第2
Edvard Grieg - Peer Gynt Suites 1 & 2 (1888-91)
1. 「朝の気分」(0:00)
2. 「オーゼの死 」(4:27)
3. 「アニトラの踊り」 (9:43)
4. 「山の魔王の宮殿にて」 (13:14)
1. 「イングリットの嘆き」 (15:43)
2. 「アラビアの踊り」 (20:34)
3. 「ペール・ギュントの帰郷」(25:12)
4. 「ソルベージの歌」 (28:04)
主人公ペール・ギュントの一生を描いたイプセン作のお話を音楽にしたものです。
行進曲、舞曲、独唱曲、前奏曲など23曲で発表されましたが、この中からそれぞれ4曲ずつ選んで組曲にまとめられました。
「朝の気分」ではモロッコ海岸の朝のすがすがしい感じが巧みに表現されています。
「オーゼの死」はペールの母親オーゼの死を悲しむ曲です。
「アニトラの踊り」アラビアの酋長の娘が躍る美しい曲です。
「山の魔王の宮殿にて」宮殿の不気味な感じを表しています。
「イングリットのなげき」ペールは人の結婚式場から大事な花嫁を連れ出してしまいます。花嫁はたいそう悲しんでいます。
「ペール・ギュントの帰郷」つかれはてたペールは、温かい奥さんのところにもどって幸せに年をとります。
「ペール・ギュント」は主人公ペールの一生を描いていますが、その一生は波乱万丈すぎて結構ぶっとんでいます。
まず、主人公ペールはたいした仕事も財産も無いのに「いつか世界を支配する皇帝になりたい」なんて言っている大ぼら吹き野郎です。
そんな彼は、
花嫁を結婚式からさらったのにすぐ飽きて立ち去ったり、
魔王の娘を妻に迎えて自分が魔王になろうとしたり、
口説いた女に騙されて全財産を盗まれたり、
無茶苦茶です。
そのくせカリフォルニアでは、世界各地を冒険して得た経験を活かして奴隷貿易で巨万の富を築きます。
それでもペールは心機一転、一からやり直すことを決心します。
なんとこの場面で演奏されるのが「朝の気分」
そんな彼が老いて故郷に帰ると、そこではなんと故郷を出るときにペールが一目ぼれしてから恋焦がれていたソルヴェイグがペールの帰りをずっと待っていたのです。
ソルヴェイグは老いて盲目になってしまっていましたが、ペールはソルヴェイグに温かく迎え入れられ、彼女の子守歌を聞きながら幸せにその生涯を閉じます。
すごいお話ですよね(笑)
今回勉強して「朝の気分」の印象がガラッと変わりました。
これまでは「朝の気分」については漠然とした朝のイメージしかなく、
ポジティブなイメージはありませんでした。
しかし今となっては、「前向きな新しい始まり」を強くイメージします。
これから「朝の気分」を聞くときは、「会社に行く時間だぁ」とかネガティブなことは思わずに前向きに「よーし、今日は新しいことしてみるぞ~」と、ポジティブな朝をイメージするようにしましょう。(^^*)v
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調
Edvard Grieg - Piano Concerto in A minor
00:00 - I. Allegro molto moderato
11:59 - II. Adagio - attacca
18:04 - III. Allegro moderato molto e marcato
ピアノの独奏と管弦楽の美しい調和と、巧みな表情によって、ノルウェーの素朴な純真さを表しています。
0:00~からの第一楽章の冒頭は非常に有名ですね。この曲は全体的に北欧の民謡風なふしが使われています。
といっても私は北欧の民謡なんて知りませんでしたので、少し調べてみました。
【和訳付き】イエヴァンポルカ (フィンランド民謡) "Ievan Polkka" - カナ読み有
この二つを聞いてみると、まぁ確かにピアノ協奏曲イ短調は北欧らしいと感じられると思いますが、いかがでしょう?あまりピンとこない人もいるかもしれませんね。
どちらかというと、このような民謡の雰囲気を、あんなに美しいピアノ協奏曲にしてしまうグリーグの技が大変すばらしいということでしょうか。( 'ω' )
国民学派時代のまとめ
国民楽派の時代では、民謡を使った音楽が盛んになりました。
特に民謡が多かったロシアやチェコではその動きが活発で、曲のところどころで民謡風なふしがあったり、ものによってはそのまま引用されていたりと、民謡を知ってれば大変身近に感じる音楽でした。
貴族や教会音楽だけだった古典派の時代と大きく変わって、民族を代表するような曲を作ったりと、人間にフォーカスした曲が多いように感じられます。
この時代の音楽では音楽的な理論よりも、当時の時代背景と民族性を知ることがとても重要ということがわかりましたね。(゚д゚)(。_。)
近代・現代の音楽
18~19世紀のロマン派時代に音楽はヨーロッパ全土に広がりを見せました。
19世紀の末になると、フランスの印象派絵画のように、美しい印象派音楽がうまれ、つぎつぎと神秘に満ちた音楽や、近代的思想をとりいれた音楽など、形式や様式が変わった新しい流れが起きました。
現在の音楽では自由な表現を目指した12音主義の音楽や、電子音などを用いた楽器以外の音を使った前衛的なものが生まれていきました。
また、国民学派の流れも健在で、特にハンガリーやロシアでは民謡の研究が盛んです。
この時代になると音楽家の数も膨大ですね。
またヨーロッパのみならず、アメリカの音楽家も大活躍しています。
ここではすべての音楽家を紹介できませんが、主な音楽家についてみていきましょう!(^^♪
ドビュッシー(1862~1918)(フランス)
パリの近くのめぐまれた家で育ちました。はじめは学校に行かずに母親によって教育を受け、7歳の時にカンヌで本格的な勉強を始めました。パリで印象派の詩人と仲良くなり、独特の響きによる絵のような音楽を作り上げました。
ドビュッシー:組曲『ベルガマスク』
Suite Bergamasque - Claude Debussy (Score)
00:00 「前奏曲」
06:09 「メヌエット」
11:22 「月の光」
18:13 「パスピエ」
11:22~からの「月の光」は大変有名です。
形にとらわれない自由な旋律で、神秘的かつ抽象的に月の美しさを表しています。
ドビュッシー:『牧神の午後への前奏曲』
Prélude à l'après-midi d'un faune - Claude Debussy (Score)
昼寝する子供が、夢の世界をさまよう様子を大変美しく表しています。
ドビュッシーの曲は形にとらわれない旋律によって、まさに絵画の印象派を音楽にしたような表現を実現し、大変美しいです。
このような表現の音楽はこれまでのロマン派にも古典派にもありませんから、大変新しく、先進的な試みであったことでしょう。
印象派音楽の始まりにしてこの完成度。
ドビュッシーってすごいですね。Σ(・□・;)
シベリウス(1865~1957)(フィンランド)
フィンランドに生まれました。小さいときからピアノやバイオリンを学び、ヘルシンキの音楽学校卒業後、ウィーンに行って勉強しました。
自分の国を大変愛し、民族色豊かな多くの曲を残しています、指揮者としても有名で、政府は老後多額の年金を贈って、国宝のように大切に扱いました。
シベリウス:交響曲『フィンランディア』
Finlandia, Op. 26 (Jean Sibelius) SCORE
この曲は28歳の時の作品です。
当時のフィンランドはロシア帝国からの圧政に苦しめられており、独立運動が盛んでした。
そんな中この曲は、フィンランドの愛国心を沸き起こすものとしてロシア帝政に演奏を禁止されたというエピソードがあります。
また、この曲は独唱・合唱曲にもなっています。
シベリウス:組曲『カレリア』
Jean Sibelius - Karelia Suite [w/ score]
28歳の時の作品で、カレリア地方の素朴さを表現しています。
13:29~からの旋律は有名ですね。
国民楽派の動きはロシアやチェコで盛んでしたが、シベリウスによって北欧のフィンランドでも似たような動きがあったんですね。(^^♪
ラベル(1875~1937)(フランス)
近代フランスの大作曲家で、スペインに近いバスという町に生まれ、すぐにパリに移りました。
14歳でパリ音楽院の予科に入学し、ピアノ、理論、作曲を勉強しました。
ユーモアに富んだ人で、ドビュッシーの影響を受けて、自由な和音をつかって、明るいのびのびとした曲を多く作曲しました。
自動車事故がもとで亡くなりました。
ラベル:『ボレロ』
バレエのために作曲されたのですが、いろいろな楽器をが使われており親しみやすいため、様々な場面で演奏されています。
ボレロは18世紀後半にスペインにおこった踊りで、ギター伴奏に緩やかな3拍子でカスタネットをもって踊ります。
ラベルはよくドビュッシーに影響を受けており、印象派の音楽家として分類されます。
『ボレロ』の和声はかなり自由的で充実していて印象派的ですね。
しかし、旋律ありきの音楽で、どこか古典派時代的な曲調に感じられますね。
ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』(編曲:ラベル)
Mussorgsky (orch. Ravel) - Pictures at an Exhibition - Complete (Official Score Video)
ムソルグスキーの項目でも述べましたが、ラベルは編曲家としても大変有名です。
ピアノ曲をオーケストラに編曲するときはどの楽器に旋律を割り振るか(オーケストレーション)でその曲の印象が大きく変わってしまいます。
ラベルはこのオーケストレーションの天才といわれています。
ピアノ曲ではあまり有名になっていなかった『展覧会の絵』を、類まれなるセンスで編曲し、今でも愛される名曲へと変貌させたのです。
『展覧会の絵』はもちろん国民楽派時代のムソルグスキーの曲を編曲したものですから、当然あまり印象派っぽくはなっていないです。
印象派の音楽が広がりをみせていたこの時代からすると少し古臭い曲かもしれません。(*'ω'*)
ラベル:『マ・メール・ロア』(ピアノ版)
Maurice Ravel, 'Ma mere l'oye' (solo piano suite)
ラベル:『マ・メール・ロア』(管弦楽版)
Ravel "Ma Mère l'Oye" Dutoit/Miyazaki
『マ・メール・ロア』はイギリスに古くから伝わるおとぎ話「マザー・グース」をもとにしたバレエ曲です。
とても神秘的で、ドビュッシーの影響受けまくりです。
この曲からはラベルの印象派の一面がよくわかりますね。
管弦楽版ではピアノ版の雰囲気をより一層高めているように聞こえます。
ラベルのオーケストレーションの精巧さがわかりますね。
彼のオーケストレーションはその巧みさから、精密時計とも評されていました。
ラベルは印象的な音楽と古典的な音楽を併せ持つ、古き良きを知る音楽家であったことがわかりますね。
この記事を書くまでは『ボレロ』に古典的なイメージなんてありませんでしたが、
ボレロは古典音楽と印象派の和声が組み合わさった名曲でしたね。(^^♪
レスピーギ(1879~1936)(イタリア)
イタリアのボロニアでうまれ、演奏家、作曲家として勉強し、ローマの音楽学校の教授、好調をつとめました。永遠の都ローマをかこむ自然のすがたをつぎつぎに音楽に表しました。
レスピーギ:交響詩『ローマの噴水』
Respighi - Fountains of Rome Karajan Berlin Philharmonic
ローマには古くからのこされた泉があります。ローマの有名な泉を4つえらんで、それぞれの噴水の雰囲気や、水を汲む人たち、鳥、木々の様子を表しています。
この曲は大変自由な旋律と和声で構成されており、印象派的な動きを感じます。
これまでの印象派の音楽はせいぜいラベルの『マ・メール・ロア』くらいの小さいスケールの曲が主流でしたが、この曲では大変ダイナミックな音楽になっています。
レスピーギは『ローマの噴水』に続いて『ローマの松』、『ローマの祭り』を発表していますが、どんどん派手になっていきます。
和声も抽象的なものからきらびやかな和音が増えており、印象派の形式からも脱しているような印象です。(゚д゚)(。_。)
『ローマの祭り』は吹奏楽で人気な曲ですね。聞いたことある人もいるのではないでしょうか?
レスピーギ:交響詩『ローマの松』
レスピーギ:交響詩『ローマの祭』
Ottorino Respighi - Feste Romane
プロコフィエフ(1891~1953)(ロシア)
南ロシアに生まれました。文字通り、音楽の天才で、5歳9か月で『インドのギャロップ』というピアノ曲を、9歳でオペラ『巨人』、11歳で最初の交響曲を作っています。13歳のとき、音楽院に入学し、10年間、勉強をつづけました。
激しく、力強いリズムを使った音楽が多く、また、子供のための音楽も作っています。
プロコフィエフ:ピーターとおおかみ(子供のための交響詩物語)
プロコフィエフ - ピーターと狼 Op.67 子供のための音楽物語 ※和訳付き
お話に登場する人物や動物に、それぞれ特定の主題と楽器が与えられています。
曲が始まる前に、それぞれ主題が説明によって演奏されます。
ゆうかんなピーター少年は、あひるを飲み込んだオオカミを、森の動物たちと力を合わせて、生け捕りにします。
物語に合わせてそれぞれのキャラクターの楽器が演奏されるので、大変親しみやすく、1946年にウォルト・ディズニー・カンパニーの「メイク・マイン・ミュージック」の中の一作としてアニメが製作される程です。
メイク・マイン・ミュージック (Make Mine Music) - ピーターとおおかみ (Peter and the Wolf)
この物語はロシアの昔ながらの民話をもとにプロコフィエフ自身が書いています。
民族的な表現を重視する国民楽派の流れをくんでいるように思えます。
また、音楽性は「旋律ありきで、それに合う和音をつける」という古典派時代の手法を感じさせます。
しかし、古典派時代に比べるとその旋律は自由的で、和声も複雑ですから、古典時代の音楽と印象派の音楽が融合しているように思えますね。
ラベルとはまた異なった形で古き良き音楽を当時の流行りとうまく融合していますね。(^^♪
シェーンベルク(1874~1951)(オーストリア)
オーストリア生まれ。
今回参考にした本では取り上げられていませんでしたが、12音主義の音楽について語るために、筆者に無理やり引っ張り出された人。
シューンベルクは12音技法を確立して、20世紀音楽が当初において模索していた無調性という指向を極めた人です。
12音技法というのは、オクターブを構成する12の音(半音階すべての音)のどれもが同じ重要性を持つと考えを基にしています。
最初に12音すべてを1回ずつ使用して、セリーとよばれる音列を作り、そのセリーをいろいろに組合わせて音楽を構成していく方法です。
この技法を使って作られた曲は無調性の音楽であり、これまで調和や和声を重んじた音楽の流れの中では大変新しく、革新的な動きでした。
シェーンベルク:『ヤコブの梯子』
Die Jakobsleiter / Arnold Schoenberg
この曲は一つのフレーズに12音すべてを使用しており、古典派から大事にしてきた和声を否定することで新しい音楽としています。
このような動きは現在もありますが、シェーンベルクが確立した12音技法による音楽は、工夫が難しく、どの曲も同じような印象になってしまうといった点から、現在ではその活用は曲中の一部にとどめるなど、限定的です。
12音主義の音楽は非常に難解であり、とっつきにくい印象ですが、これまでの音楽の歴史を考えると、あえて調性をなくすというのは面白い着眼点です。
しかし、無調性がゆえにどれも同じに聞こえて面白みが少ないというのは残念ですね。(´;ω;`)
ショスタコービチ(1906~1975)(ロシア)
ロシアのペテルスブルグにうまれ、レニングラード音楽院で学びました。卒業と同時に発表した第1交響曲で、天才としていち早く有名になりました。大規模な交響曲から、映画の音楽まで、幅広く音楽を作りました。
ショスタコービチ:『森の歌』
Evgeny Svetlanov: Shostakovich Song of the forests, op. 81 (USSR/Japan 1978)
『森の歌』はオラトリオということになっていますが、宗教的なものではありません。
ソビエトの植林計画をたたえて、未来の社会主義の繁栄を歌ったもので、7つの楽章からできています。
これには、テノール・バスの独唱、児童合唱、混成合唱が加わっています。
『森の歌』ではとりわけ
第4曲「ピオネールは木を植える」19:40~
第5曲「スターリングラード市民は前進する」22:16~
の2曲が有名です。
「ピオネールは木を植える」のピオネールとは9歳から14歳までの少年少女の合唱団体であり、植林によって植えられた若木と少年少女が対比されて、植えられた苗木がこれから成長していくイメージが強く伝わる曲となっています。
日本では1950年代ごろから音楽の授業でよく取り扱われるようになり、広く歌われていました。
しかし、スターリンやソビエトを称賛する曲という性質のためか、1991年のソ連崩壊によって下火になり、今ではあまり演奏されません。
「スターリングラード市民は前進する」の冒頭は「祝典序曲」に引用されています。
「祝典序曲」は今なお頻繁に演奏される大変な名曲です。
《Siena Tube》【佐渡/シエナ】祝典序曲 [Sado/Siena Wind Orchestra] Festive Overture, Op96 /D.Shostakovich
『森の歌』の曲調はロシア民謡風であり、ロシアでは国民楽派の動きが長く続いていることがうかがえますね。
また、有名な「祝典序曲」の旋律がこのようなスターリンを称賛した曲からの引用というのは知りませんでした。
調べてみる「祝典序曲」は非常に急ピッチで作曲された曲で、その製作期間はなんと3日間だったそうです。
そう考えてみると、過去に書いていたお祝っぽい旋律としてソビエトを讃えた『森の歌』から引用することは理にかなっていますね。(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)
ショスタコービチ:交響曲第5番『革命』
Shostakovich - Symphony No. 5 (Score)
この曲を書いた当時、ショスタコービチはスターリンの意にそぐわない曲を書いたとされ、ソ連の新聞「プラウダ」に「支離滅裂にて音楽にあらず」という記事が載っていました。
「モーツァルトの再来」とまで言われていた彼の名声は揺らいでいたのです。
そんな状況を打破すべく、ショスタコービチは大変親しみやすいこの交響曲第5番を書き上げ、大変絶賛され、名誉挽回したとされています。
この曲の最終楽章(38:56~)は大変有名です。また大変ロシア民謡的な旋律で、ここにもロシアの国民学派の流れを感じることができますね。(^^♪
ストラビンスキー(1882~1971)(ロシア)
ロシアのレニングラードにちかいオランエンバウムの生まれです。
はじめ、大学で法律を学んでいましたが、やがて、リムスキーコルサコフの弟子となりました。
作曲の勉強をしながら、作品を発表しているうちに、当時の有名なバレー団に認められました。
この舞踊団のために「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」などを作曲し、いち早く世界の一流作曲家となったのです。
ストラビンスキー:『ペトルーシュカ』
Stravinsky - Petrushka Ballet FULL
『ペトルーシュカ』は魔法使い「シャルラタン」によって人間の魂が込められたピエロの人形「ペトルーシュカ」が、同じく人間の魂を込められたバレリーナの人形に恋をするという、ロシア版のピノキオとも称されるバレエ音楽です。
ーーー『ペトルーシュカ』のあらすじーーー
0:00~冒頭は謝肉祭で盛り上がる町中のにぎやかさがロシアの民謡を引用するなどして表現されています。
5:07~に登場するのが魔法使い「シャルランタン」。
7:06~でシャルランタンは「ムーア人」、「バレリーナ」、「ペトルーシュカ」の順に人間の魂を込めます。ペトルーシュカはそのあとすぐにバレリーナの人形に恋をするのです。
10:00~場面はペトルーシュカの部屋に移ります。途中でバレリーナが入ってきて、シャルランタンは自分の思いを告げようとしますが、うまくいきません。
14:23~今度はムーア人の部屋。ムーア人がヤシの実で遊んでいると、バレリーナの人形がおもちゃのトランペットをもって入ってきます。その後意気投合した二人はワルツを踊って仲を深めます。
その後ペトルーシュカが入ってきて乱闘になりますが、ペトルーシュカはムーア人の人形にあっさりと負けてしまいます。
20:42~舞台は再び町に戻り、ますます賑わっていく街の様子が、再びロシアの様々な民謡や舞曲を引用して表現されます。
30:42~町中の盛り上がりが最高潮になったとき、突然ペトルーシュカがムーア人に追われながら町に現れます。
ペトルーシュカはその後ムーア人に切りつけられ、
なんと血を流して死んでしまいます。
町中の人々は大慌てになりますが、すかさずシャルランタンが魔法をかけてペトルーシュカを人形に変化させ、軽々しく振り回すことで、ただの人形であることをアピールし民衆を安心させます。
33:10~シャルランタンはペトルーシュカの死体を引きずって見世物小屋に向かいます。するとその時、見世物小屋の屋根にペトルーシュカの亡霊が現れ、シャルランタンは恐怖のあまり死体をの場において逃げ出してしまいます。
その後もシャルランタンが見世物小屋の屋根から上半身を垂らし、右へ左へ揺れ続け、舞台は幕を閉じます。
随所でロシアの民謡や踊りが引用されており、大変民族楽的な音楽となっています。
しかしペトルーシュカの物語はとても切ないですね。(´;ω;`)
ストラビンスキー:『火の鳥』
ストラビンスキーの曲の中で最初に成功したのがこの『火の鳥』です。
『火の鳥』の後に『ペトルーシュカ』でさらに成功して偉大な作曲家に仲間入りを果たし、その後『春の祭典』での再びの成功でその地位を固めます。
7:17~のファゴットソロからラストにかけての展開は大変美しく、
私の大好きな曲の一つです。
特に9:09~のホルンソロからは圧巻です。ぜひご一聴ください。
ストラビンスキーは主にバレエ音楽で成功したロシアの音楽家です。ロシアのバレエ音楽家と言えば、3大バレエ音楽を作曲したチャイコフスキーを連想します。
ロシアの民謡とバレエの相性がいいんでしょうかね?バレエ音楽と言えばロシア音楽となっているように感じます。(*'ω'*)
ガーシュイン(1898~1937)(アメリカ)
ニューヨークにうまれ、楽器屋さんに勤めていたころに作曲した「スワニー」という曲で、その名を全米に知られました。
その時、21歳でした。
その後、いろいろな曲を発表し、ジャズの音楽を使ったクラシックジャズを作ることに成功しました。
ガーシュイン:『ラプソディー・イン・ブルー』
George Gershwin - Rhapsody in Blue - Leonard Bernstein, New York Philharmonic (1976)
「のだめカンタービレ」のエンディングに起用されていましたので、聞いたことのあるかは多いかもしれません。
クラシックジャズのパイオニア的な曲です。
アメリカのブルース的な和声がふんだんに使われており、非常にポップで、堅苦しい雰囲気になりがちなクラシック音楽を大変親しみやすくしていると感じます。
現代ではアメリカの音楽も非常に盛んになっていますね。
この曲が作曲されたのはドボルザークの『新世界より』から約30年たった時期です。
ドボルザークはアメリカの音楽を活性化するために尽力していましたから、30年でこのような名曲がアメリカから生まれたと考えると感慨深いですね。( ;∀;)
ハチャトリアン(1903~1973)(ロシア)
は貧しい製本屋でしたが、19歳の時に音楽学校に入学し、2年間チェロの勉強をし、その後、作曲家として活躍するようになりました。
アルメニア地方(東欧)の民謡をとり入れた曲が多く、芸術的な面、大衆的な面と、今日では広くその名声を高めています。
ハチャトリアン:舞踊組曲『ガイーヌ』
バレーのための音楽で、大変民族的な情緒豊かな曲です。
彼はこの曲によって世に名を高めました。
演奏会用として取り上げられるのは、12曲のうち「剣の舞」「子守歌」「バラの娘たちの踊り」「アイシュの目覚めの踊り」の4曲です。
ハチャトリアン:舞踊組曲『ガイーヌ』より「剣の舞」
Khachaturian: Sabre Dance / Ozawa · Berliner Philharmoniker
クルト族の出陣の音楽で、強烈なリズムで演奏します。
ハチャトリアン:舞踊組曲『ガイーヌ』より「子守歌」
ガイーヌがわが子を寝かしつけるときの子守歌。曲の中で何回もフルートの主題が繰り返されます。
ハチャトリアン:舞踊組曲『ガイーヌ』より「ばらの娘たちの踊り」
Aram Khachaturian - Gayane - Dance of the Rose Maidens
ばらを持つ娘たちの踊りで、東洋的な曲です。
ハチャトリアン:舞踊組曲『ガイーヌ』より「アイシュの目覚めと踊り」
Aram Khachaturian, Ayshe's Awakening and Dance, Martiros Saryan
平和で清潔な感じの曲です。
ハチャトリアンの曲はとても民族楽的ですね。
「剣の舞」はこれまで運動会のイメージがとても強かったですが、国民楽派の流れを理解した今では、クルト族の音楽をとてもうまく現わしていることがわかります。(^^)/
ルロイアンダーソン(1903~1973)(アメリカ)
アメリカの作曲家。
今回参考した本には紹介されていなかったが、ここでは、変わった楽器を使った曲を書いた人として筆者に引っ張り出されただけの人である。
ルロイアンダーソン:『タイプライター』
The Typewriter (a concerto for orchestra and solo typewriter)
現代ではこれまで使用していなかったようなものを使って演奏する動きも出ていました。
シンセサイザーと呼ばれる電子楽器も最近は使われることがあります。
今回ご紹介するのは『タイプライター』。
最初のベルの音はチューニングと言って音合わせの作業ですが、タイプライターには音を合わせる機能がないので、まったく音があってません。(笑)
大変ユーモアに富む作品で、今なお愛されている曲です。
私の中学校では掃除の時間にこの曲が流れていましたので、なんだか部屋を掃除したくなる気分ですね。(^^)/
近代・現代のまとめ
近代・現代では非常に数多くの音楽家が活躍していることがわかります。
また、音楽の中身も充実し、旋律や伴奏が曖昧で、神秘的な雰囲気の旋律を使う印象派の音楽が起こり、依然としてロシアでは国民楽派の流れが非常に色濃く残っていることがわかりました。
さらに、一部ではこれまで非常に重要視していた調性を捨てるという試みや、新しい楽器を使うなど、面白い試みがなされていましたね。
近代・現代の音楽を演奏するときには、それがどの流れにある曲なのか調べることで、より深くその曲を理解することができそうですね。(^^)/
最後に
今回、紀元前から近代・現代までの音楽を調べてみた結果、
音楽はどんどん複雑になり、より繊細な表現をするようになっている
ことがよくわかりました。
でもそれは、作曲家がアイデンティティを求めたり創意工夫を重ねた結果であり、現代の曲が古典派時代の曲に比べて優れているとか劣っているということはありませんでした。
各時代の音楽家が、それぞれ類まれなるセンスで素晴らしい音楽を作り上げ、音楽の世界を盛り上げたからこそ、今なお音楽が親しまれているのだなと強く感じました。
こんなに長い記事を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この記事を読んで、これまで知らなかったクラシック音楽の一面に気付いていただけたなら、何よりもの喜びです。
これまでの音楽は人が増えるほど発展していきました。
これからの音楽を発展させるのは、あなたかもしれません。(^^♪
今回使用したGoogle Mapと年表を配布しています。
ご参考にどうぞ
音楽の歴史年表 - 年表作成サービス「THE TIMELINE」