ほんとに簡単!!音楽史のまとめ(紀元前5000年~現在まで)
こんにちは!
執筆者のドミです(^^)/
このブログは読者にしっかりとした音楽の知識を知ってもらい、
自身に眠る新しい音楽観を見つけてほしいという思いで
愚か者な指揮者であった私が一から音楽を勉強して記事を書いています。
そんな思いのなか、まずは音楽の歴史について記事を書いたところ、
なんと3つの記事に分かれるほど膨大な量となってしまいました。
音楽をたしなんでいる人の中には、時間が惜しい!という方も
いらっしゃると思います。
今回はそんなお忙しいあなたのために、これまで書いた記事を抜粋してお届けします!
今回の記事も水野允陽さん著の『音楽の歴史と音楽家』という本を参考に執筆しております。
音楽史の本の中で一番簡単そうなやつを図書館で借りてきました。(笑)
とってもわかりやすい本で、音楽史の入り口としては最適な本でした。
この記事を読めば、有名な音楽家たちの活躍した地域と、その時代背景について知ることができ、彼らの曲がいかに当時では画期的であるのかについて理解いただけると思います。
ーーー簡単な自己紹介ーーー
私は現在とある一般サークルのバンドで指揮者をしています。
しかしこれまで音楽の勉強を真面目にやったことがない「愚か者」でした。
ドラッカーの本を読んで、これを猛省し、現在は音楽の勉強をするようになりました。
ここでは音楽初心者から経験者まで、ご自身の音楽活動に役立つように、私が勉強したことをわかりやすく発信していきます!
⇓本文ざっくりまるわかり!目次です。
- 実はとっても革新的で新しい!~クラシック音楽の世界~
- 古代の音楽(紀元前5000年~500年)
- 中世の音楽(500年~1600年)
- 17世紀の音楽(1600~1700年)
- 18世紀・古典派の時代(1700年~1800年)
- ロマン派の時代(1800年~1900年ごろ)
- 国民楽派の時代(1850年~1900年ごろ)
- 近代・現代の音楽(1900年~現在)
- まとめ
実はとっても革新的で新しい!~クラシック音楽の世界~
まずは前編の内容です。(^^)/
最初に音楽の歴史を知るうえで非常に重要な考え方についてここでは説明したいと思います。
まず、大前提として
クラシック音楽は非常に退屈で 眠たいものだと感じる人は多いのではないでしょうか?
その感覚は大正解であり、その感性が普通だと思います。
私もそうでした。
現在の音楽は文明の発達によって表現豊かで、きらびやかで、様々な種類があります。
一方、クラシック音楽の世界では技術も古く、形式ばったものが多いため、比較すると退屈に感じるのは当然だと思います。
しかし次のことに気が付くとクラシック音楽の見方はガラリと変わります。
それは
現在の音楽はクラシックの音楽が発展したものである
ということです。
音楽の世界では昔の人もかなり試行錯誤しており、形式ばったものから自由な表現へ、小編成から大編成へ、単声から多声へと進化していきました。
その音楽の進化のなかで、特に革新的だった曲たちが大変な反響を呼び、
今なお愛され、クラシック音楽というジャンルを形作っているのです。
つまり実は、クラシック音楽は当時の音楽と比べると「革新的で」「きらびやかで」「ユーモラスである」な世界が広がっています。
図で示すならこんな感じ。
よく「作曲者の周辺の時代背景を知ると、その人の曲をより楽しめる」といいますが、
まさにこの言葉の通りだと思います。
また、ここで注目したいのは、音楽の進化は今も止まっていないことです。
音楽の歴史を勉強すれば、クラシック音楽だけでなく、現在の音楽もどこが革新的で、面白いのかという見方が出てきて楽しむことができるのです。
前置きが大変長くなりました。
それでは、音楽の歴史を私と一緒に振り返っていきましょう!
私のコメントは緑文字で書いていきます(^^)
古代の音楽(紀元前5000年~500年)
音楽の歴史は紀元前5000年ころから始まります。
音楽は文明と共に広がりを見せていきます。
音楽が生まれたのは紀元前5000年ごろ。
自然に出る音や動きから自然と音楽が形作られていったとされています。
そんな中、紀元前4000年ごろに西南アジアでシュメール人による文化ができ始めます。
ペルシャ湾にほど近い古代都市ウルの遺跡からは楽器や、楽人の彫刻などが出土。
このころにはすでに管・弦・打楽器が存在していることがわかります。
その後、ウルの文明はギリシャやローマに伝わり、
文明とともに音楽もヨーロッパへ広がりを見せます。
このころの楽器は主に儀式などで使われていたと考えられていますが、
古代ローマでは、軍隊を率いるために用いている証拠があり、
楽器の使用方法に広がりが見えてきます。
文明が伝わるとともに音楽がヨーロッパに広がって、
その後にヨーロッパで音楽が広がる基礎が出来上がった時代ですね。(^^)/
中世の音楽(500年~1600年)
古代ローマで広がりを見せたキリスト教徒ともに、教会音楽の文化がヨーロッパに広がります。
キリスト教は大変広い範囲で広がったため、音楽も多くの人に広がりました。
庶民にも音楽の文化が伝わって、音楽に多様性が生まれた時代です。
また、音楽の研究も進みました。
楽譜の考えや対位法が確立された時代で、音楽はますます発展しました。
この時代の流れを地図でまとめるとこんな感じ。
キリスト教の普及とともに音楽が各地で広がっていったことがよくわかります。
宗教とともに音楽は広がったため、この時代の音楽は非常に宗教と結びつきが深いですね。
17世紀の音楽(1600~1700年)
いわゆる「クラシック音楽」のジャンルではこのあたりの曲が最も古いです。
17世紀は幻想豊かな創造の時代と言われ、オペラやオラトリオが世に生まれた時代で、次の古典派の時代への橋渡しとされています。
これまでは教会音楽が主役の時代であったのに対し、
この時代から次第に音楽自体に焦点が当たりました。
音楽はより大規模に、より華やかに変化し始めます。
この時代はフランスやイタリアが音楽の中心でした。
コレッリ(1653~1713)イタリア
バイオリンのための曲をたくさん残しています。彼の合奏協奏曲は今でもよく演奏されています。
当時は和声と対位法がいかに重視されているかわかりますね。(^^)/
コレッリ:合奏協奏曲第4番 ニ短調
Corelli: Concerto Grosso No. 4 in D major (Banchini) (1/2)
ビバルディ(1677~1741)
今でも大変有名はビバルディはこの時代を代表する音楽家です。
合奏協奏曲『四季』より「春」が代表作です。
様々な旋律を組み合わせることが主流だった当時に
このクオリティのバイオリン協奏曲は画期的と言えるでしょう。(^^♪
ビバルディ:合奏協奏曲『四季』より「春」
18世紀・古典派の時代(1700年~1800年)
この時代では宮廷で貴族を中心に音楽が発達しました。
音楽性の発展については、
バッハによって対位法が、
ベートーベンによって和声の音楽が出来上がった時代で、
これらの音楽の発展は、次のロマン派の時代の重要な基盤となります。
ここからは中編の内容です。
バッハ(音楽の父)(1685~1750)(ドイツ)
バッハはドイツのアイゼナッハで生まれました。
彼の家は優れた音楽一家として有名です。
対位法の音楽を大成させ、「音楽の父」とも言われています。
バッハ:フーガト短調
BWV 578 - "Little" Fugue in G Minor (Scrolling)
バッハと言えば、やはりフーガでしょう。
17世紀の音楽家で挙げたコレッリの合奏協奏曲の第4番と比較しても、その対位法の完成度は段違いに洗練されていますね。
ハイドン(交響曲の父)(1732~1809)(オーストリア)
ユーモアと機智にとんだ大作曲家で、特に交響曲の形式をまとめあげ、大きな功績をのこしたことから、「交響曲の父」と呼ばれています。
ハイドン:交響曲第94番『驚愕』2楽章
Haydn : Symphony No. 94, 'Surprise', 2nd movement
当時は室内楽が中心です。
多くの楽器が使われる「交響曲」は大変真新しく、豪華で華やかだったことでしょう。
初めて聞いた人はその美しさにスヤスヤ……
と思ったらいきなりのffに『驚愕』し、
目を覚ますことでしょう。
ハイドンは「交響曲」という音楽の形式をしっかりと形作っていきながら、『驚愕』や、時計をモチーフにした曲を書くなど、ユーモアあふれる曲を書いた人でした。
モーツァルト(神童)(1756~1791)(オーストリア)
35歳の短い生涯で、普通の人が何十年かけてもできない音楽をたくさん残しています。
4歳のときに姉の真似事でピアノをひきはじめ、「神童」と呼ばれました。
モーツァルト:ホルン協奏曲第1番ニ長調(K412)
Wolfgang Amadeus Mozart - Horn Concerto No. 1, K. 412
モーツァルトは現代でも見劣りしないほど親しみやすく、
きらびやかな旋律を残しています。
当時の音楽の中でこの旋律は段違いに洗練されています。
当時、モーツァルトの旋律は大変な衝撃だったことが伺えます。(^-^*)
ベートーベン(楽聖)(1770~1827)(ドイツ)
ベートーベンはドイツのライン川のほとりのボンという町で生まれました。
小さい時に父から厳しい音楽指導をされ、モーツァルトのように天才ではありませんでしたが、努力によって音楽を作り上げた人です。
30歳ごろから耳が聞こえなくなりはじめ、難聴の苦しみに耐えながら、世の中のために素晴らしい音楽をと、懸命に作曲を続けました。
ベートーベン:交響曲第9番『合唱付き』
Beethoven: Symphony no. 9 in D minor, op.125
ベートーベンはこの曲で和声の音楽を大成させます。
これまでの音楽はバッハの「フーガト短調」のような対位法による音楽か、
モーツァルトの「ホルン協奏曲第1番ニ長調(K412)」のような旋律ありきの音楽が主流でした。
そんな中でベートーベンは和音を使って音楽を表現することに挑戦を続け、この曲でついに大成するのです。
この曲の最終楽章は「歓喜の歌」と言われ今なお愛されていますね。(^^♪
ロマン派の時代(1800年~1900年ごろ)
ロマン派の時代はクラシック音楽の全盛期と言われる時代です。
18世紀の後半になると自由主義思想が盛んになり、
人びとは人間としての自覚や、民族としての意識をより具体的な形に表すようになりました。
音楽は貴族に仕え教会を中心としていたものから、音楽それ自体を目的としたもに変化しました。
旋律や和音がより一層自由に表現され、歌劇や歌曲がますます発展し、より多彩な表現がされるようになっていきました。
古典派時代と比較すると、ヨーロッパ全域に音楽が広がったことがわかりますね。
この時代の音楽はオペラや歌曲が多いです。(^^♪
シューベルト(歌劇の王)(1797~1827)(オーストリア)
オーストリアのウィーン郊外、リヒテンタール出身。14人兄弟の一人として生まれ、小さい時からその才能を発揮していました。
彼は友人に支えられながら、31歳で死ぬまでになんと600曲もの歌劇を残しており、「歌劇の王」と呼ばれています。
シューベルト:『アベ・マリア』
Schubert. Ave Maria. Piano y Soprano. Partitura Interpretación
シューベルトがなくなる2年ほどまえに作曲された曲で、聖母マリアをたたえた、気品高く美しい曲です。
古典派音楽と一線を画す、表現豊かな音楽がうかがえますね。
ショパン(ピアノの詩人)(1810~1849)(ポーランド)
ショパンはポーランドで生まれ、「ピアノの詩人」と言われるほど、ピアノ曲を多く残した人です。
かれは8歳の時に演奏会を開き、18歳でパリに出て、才能を認めらました。
しかし、貧乏と病気のため、若くして亡くなっています。
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調
Chopin - Fantaisie Impromptu, Op. 66 (Rubinstein)
古典派時代では考えられないほど自由な旋律と和声の音楽です。
ロマン派時代にはこのように
独自の音楽を追求する動きが活発になってきたのですね。(^^♪
ワーグナー(1813~1883)(ドイツ)
ドイツのライプチヒに生まれました。はじめはイタリアやドイツの例にならって、旋律を主とした歌劇を作っていましたが、音楽と劇とが釣り合った力強い歌劇作品を作ることに努力しました。
ワーグナー:『ローエングリン』から「祝婚の合唱」
Richard Wagner: Lohengrin - Vorspiel 3. Akt und "Wedding March"
3:10~からは結婚行進曲としても有名ですね。
合唱とオーケストラの良さを見事に引き立てあい、音楽の魅力を高めていることがうかがえます。
以前の歌劇では歌のみがメインか楽器のみがメインだったため、
この曲は大変革新的だったことでしょう。Σ(・□・;)
ベルディ(歌劇の王)(1813~1901)(イタリア)
イタリアの農村の宿屋の子供として生まれました。小さいときに合唱団に入って歌っていましたが、そこで才能を買われ、ミラノで音楽学校に入って作曲を始めました。
劇的な曲を多く残し「歌劇の王」と呼ばれています。
ベルディ:歌劇『アイーダ』凱旋行進曲
Verdi Opera Aida - Gloria all' Egitto, Triumphal March - HD
オペラ「アイーダ」の第2幕第2場で演奏されるこの曲は今でも大変親しまれています。
「アイーダ」はとても壮大なオペラで、衣装や部隊も大変豪華です。
国民楽派の時代(1850年~1900年ごろ)
歌曲にあふれるロマン派の後期、19世紀の後半になって、
各地方の民族の特徴を音楽に表そうとする動きが始まりました。
なかでも、ロシアには昔から多くの民謡が伝えられていて、
この民謡がロシア音楽の発達に大きな役割を果たしました。
ここからは後編の内容になります(*^-^*)
民謡は昔から伝えられている「歌」つまりは歌曲ですから、歌曲が盛んだったロマン派の中に民謡を使う動きが出てくるのは納得ですね。
国民楽派の動きは非常に強力で、近代・現代にも引き継がれています。
ムソルグスキー(1839~1881)(ロシア)
ロシアの貴族のうまれで、はじめ軍人を志願しましたが、軍人をやめて作曲に専念しました。生活には恵まれず、貧しい暮らしが続きましたが、次々と作曲し、特有の作品をたくさん残しました。
ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』
Modest Mussorgsky - Pictures at an Exhibition (SHEET MUSIC)
友人画家の展覧会に行って感動し、この曲を書いた言われています。
全10曲の曲と曲の間ではプロムナードと呼ばれる短い演奏が入っています。
これは見ている人が、次の絵を見るために展覧会の中を歩いている様子を表しています。
このプロムナードの旋律は、ロシアの愛国歌「栄光あれ」から抜粋しているとも言われており、いかにもロシアらしいふしとなっています。
確かに少し似ていますね。
【和訳付き】栄光あれ(ロシア愛国歌)"Славься" - カナルビ付き
スメタナ(1824~1884)(チェコ)
チェコに生まれました。5歳のときには、ハイドンの四重奏団演奏に加わり、6歳でピアニストになり、しばらくリストの下で、ピアノの指導を受け、研究を進めました。リストはその天分をみとめ、スメタナを称賛しています。
スメタナ:交響詩『わが祖国』「モルダウ」
この交響詩は、それぞれボヘミアの歴史や伝説をうたいだしたもので、首都ブラーガ市に捧げられたものです。
その中でお6曲目の「モルダウ」は最も美しいとされ、故郷であるチェコのモルダウ川が悠々と流れる美しさを表しています。
また、8:33~のラストではチェコの民謡である「コチカレゼディーロウ」が引用されています。
日本の民謡「こぎつねこんこん」と似ていますが、チェコではどうやら猫らしい。
民謡がもとになっていることを知ると、クラシック音楽もとっても身近なものであることがよくわかりますね。(^^♪
グリーグ(1843~1907)(ノルウェー)
ノルウェーの生んだ大作曲家です。ピアニストであった母から音楽の手ほどきをうけ、15歳のときにドイツに行き、ライプチヒ音楽院で本格的な作曲の勉強を始めました。
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調
Edvard Grieg - Piano Concerto in A minor
00:00 - I. Allegro molto moderato
11:59 - II. Adagio - attacca
18:04 - III. Allegro moderato molto e marcato
ピアノの独奏と管弦楽の美しい調和と、巧みな表情によって、ノルウェーの素朴な純真さを表しています。
0:00~からの第一楽章の冒頭は非常に有名ですね。この曲は全体的に北欧の民謡風なふしが使われています。
といっても私は北欧の民謡なんて知りませんでしたので、少し調べてみました。
【和訳付き】イエヴァンポルカ (フィンランド民謡) "Ievan Polkka" - カナ読み有
この二つを聞いてみると、まぁ確かにピアノ協奏曲イ短調は北欧らしいと感じられると思いますが、いかがでしょう?あまりピンとこない人もいるかもしれませんね。
どちらかというと、このような民謡の雰囲気を、あんなに美しいピアノ協奏曲にしてしまうグリーグの技が大変すばらしいということでしょうか。( 'ω' )
近代・現代の音楽(1900年~現在)
19世紀の末になると、フランスの印象派絵画のように、
美しい印象派音楽がうまれ、
形式や様式が変わった神秘的な音楽の動きが起きました。
現在の音楽では自由な表現を目指した12音主義の音楽や、電子音などを用いた楽器以外の音を使った前衛的なものが生まれました。
また、特にハンガリーやロシアでは国民学派の流れが健在で、民謡の研究が今も盛んです。
この時代になると音楽家の数も膨大ですね。
またヨーロッパのみならず、アメリカの音楽家も大活躍しています。(^^)/
ドビュッシー(1862~1918)(フランス)
パリの近くのめぐまれた家で育ちました。はじめは学校に行かずに母親によって教育を受け、7歳の時にカンヌで本格的な勉強を始めました。パリで印象派の詩人と仲良くなり、独特の響きによる絵のような音楽を作り上げました。
ドビュッシー:組曲『ベルガマスク』
Suite Bergamasque - Claude Debussy (Score)
00:00 「前奏曲」
06:09 「メヌエット」
11:22 「月の光」
18:13 「パスピエ」
11:22~からの「月の光」は大変有名です。
形にとらわれない自由な旋律で、神秘的かつ抽象的に月の美しさを表しています。
ドビュッシーの曲は形にとらわれない旋律によって、まさに絵画の印象派を音楽にしたような表現を実現し、大変美しいです。
このような表現の音楽はこれまでのロマン派にも古典派にもありませんから、大変新しく、先進的な試みであったことでしょう。
印象派音楽の始まりにしてこの完成度。
ドビュッシーってすごいですね。Σ(・□・;)
シェーンベルク(1874~1951)(オーストリア)
オーストリア生まれ。
シューンベルクは12音技法を確立して、20世紀音楽が当初において模索していた無調性という指向を極めた人です。
12音技法というのは、オクターブを構成する12の音(半音階すべての音)のどれもが同じ重要性を持つと考えを基にしています。
最初に12音すべてを1回ずつ使用して、セリーとよばれる音列を作り、そのセリーをいろいろに組合わせて音楽を構成していきます。
この技法を使って作られた曲は無調性の音楽であり、これまで調和や和声を重んじた音楽の流れの中では大変新しく、革新的な動きでした。
シェーンベルク:『ヤコブの梯子』
Die Jakobsleiter / Arnold Schoenberg
この曲は一つのフレーズに12音すべてを使用しており、古典派から大事にしてきた和声を否定することで新しい音楽としています。
ショスタコービチ(1906~1975)(ロシア)
ロシアのペテルスブルグにうまれ、レニングラード音楽院で学びました。卒業と同時に発表した第1交響曲で、天才としていち早く有名になりました。大規模な交響曲から、映画の音楽まで、幅広く音楽を作りました。
ショスタコービチ:交響曲第5番『革命』
Shostakovich - Symphony No. 5 (Score)
この曲の最終楽章(38:56~)は大変有名です。また大変ロシア民謡的な旋律で、現代にもの残る国民学派の流れを感じることができますね。(^^♪
ルロイアンダーソン(1903~1973)(アメリカ)
アメリカの作曲家。今回参考した本には紹介されていなかったが、ここでは、変わった楽器を使った曲を書いた人として筆者に引っ張り出されただけの人である。
ルロイアンダーソン:『タイプライター』
The Typewriter (a concerto for orchestra and solo typewriter)
現代ではこれまで使用していなかったようなものを使って演奏する動きも出ていました。
シンセサイザーと呼ばれる電子楽器も最近は使われることがあります。
今回ご紹介するのは『タイプライター』。
大変ユーモアに富む作品で、今なお愛されている曲です。
私の中学校では掃除の時間にこの曲が流れていましたので、なんだか部屋を掃除したくなる気分ですね。(^^)/
まとめ
今回、紀元前から近代・現代までの音楽を調べてみた結果、
音楽はどんどん複雑になり、より繊細な表現をするようになっている
ことがよくわかりました。
このようになった経緯は、作曲家がアイデンティティを求めたり創意工夫を重ねた結果であり、現代の曲が古典派時代の曲に比べて優れているとか劣っているということはありません。
各時代の音楽家が、それぞれ類まれなるセンスで素晴らしい音楽を作り上げ、音楽の世界を盛り上げたからこそ、今なお音楽が親しまれているのだなと強く感じました。
この記事を読んで、これまで知らなかったクラシック音楽の一面に気付いていただけたなら、何よりもの喜びです。
これまでの音楽は人が増えるほど発展していきました。
これからの音楽を発展させるのは、あなたかもしれません。(^^♪
今回の記事で音楽の歴史について興味を持たれた方は、ぜひ前編・中編・後編の記事も読んでいただければと思います。
また、クラシック音楽のコンサートに行く場合には、ぜひ作曲家の時代を調べて、
当時あふれていた音楽について知ってみてください。
当時の作曲者がいかに革新的な音楽を作曲していたのかを感じることができ、
コンサートを何倍も楽しめるはずです。(^^)/
今回使用したGoogle Mapと年表を配布しています。
ご参考にどうぞ
音楽の歴史年表 - 年表作成サービス「THE TIMELINE」