簡単!音楽の歴史解説<中編>(18世紀・古典派~20世紀・ロマン派まで)
こんにちは!
執筆者のドミトリーことドミです!
今日も前回に引き続いて音楽の歴史について発信したいと思います。
さて、前回は音楽の歴史を学ぶメリットと、紀元前5000年~17世紀までの音楽についてまとめました。
今回のその続きとなりますので、まだお読みでない方はぜひ前回の記事をお読みください。
今回はついにクラシック音楽の真骨頂。
古典派とロマン派の時代についてまとめていきます。
この辺からは当時の音楽家と当時の曲を聴いて時代の流れを体感していきましょう。
今回の記事も水野允陽さん著の『音楽の歴史と音楽家』という本を参考に執筆しております。
音楽史の本の中で一番簡単そうなやつを図書館で借りてきました。(笑)
とってもわかりやすい本で、音楽史の入り口としては最適な本でした。
この記事を読めば、有名な音楽家たちの活躍した地域と、その時代背景について知ることができ、彼らの曲がいかに当時では画期的であるのかについて理解いただけると思います。
ーーー簡単な自己紹介ーーー
私は現在とある一般サークルのバンドで指揮者をしています。
しかしこれまで音楽の勉強を真面目にやったことがない「愚か者」でした。
ドラッカーの本を読んで、これを猛省し、現在は音楽の勉強をするようになりました。
ここでは音楽初心者から経験者まで、ご自身の音楽活動に役立つように、私が勉強したことをわかりやすく発信していきます!
⇓本文ざっくりまるわかり!目次です。
- 18世紀・古典派の時代
- ロマン派の時代(19世紀~20世紀)
- 古典派時代とロマン派時代のまとめ
- 最後に
18世紀・古典派の時代
17世紀までの音楽はイタリアとフランスがメインだったのに対して、この時代はドイツで優秀な音楽家が次々と現れた時代です。
また、この時代には宮廷で貴族を中心に音楽が発達し、対位法や交響曲、室内楽などのまとまった形式が出来上がりました。
この音楽の発展は、次のロマン派の時代の重要な基盤となりました。
この時代に活躍した音楽家たちを地図で見ると、ドイツとお隣のオーストリアが中心だったことがわかりますね。(^^♪
クラシックの基盤がこの時代に貴族を中心に発達したようです。
クラシック音楽がもつ貴族のイメージはこの時代からきているのかもしれませんね。
交響曲などの形式がまとまり、音楽がより大規模になるという、
主に音楽の発展にまつわる時代です。
それぞれの音楽を実際に聞いて、当時の時代について学んでいきましょう。
バッハ(音楽の父)(1685~1750)(ドイツ)
バッハはドイツのアイゼナッハで生まれました。
彼の家は優れた音楽一家として有名です。
オルガンの名手で、特に対位法の音楽を大成させ、「音楽の父」とも言われています。
また、彼の作曲には宗教的なものが多くあり、宗教と音楽の結びつきが色濃くのこる時代であることがわかります。
バッハ:フーガト短調
BWV 578 - "Little" Fugue in G Minor (Scrolling)
バッハと言えば、やはりフーガでしょう。
前回17世紀の音楽家で挙げたコレッリの合奏協奏曲の第4番と比較しても、その対位法の完成度は段違いに洗練されていますね。
対位法とはそれぞれの旋律の独自性を保ちながら様々な旋律を重ね合わせる手法のことです。
ヘンデル(音楽の母)(1685~1759)(ドイツ)
バッハと同じ時代にドイツに生まれ、美しく整った響きで大変親しみやすい曲を多く作曲しています。その親しみやすさから、
「音楽の母」と呼ばれています。
彼はなんと5歳のときから音楽の才能をあらわし、子供とは思えないほどの熱心さで屋根裏にあったスピネットを練習していました。
彼は大変な努力をかさね、25歳でロンドンにわたり、74歳で死ぬまでここにとどまって、数多くの作品を残しました。
スピネットとはピアノの前身となった楽器です。小ぶりなピアノと思っていただいて差し支えありません。
ヘンデル:調子のよい鍛冶屋
ヘンデル:「調子のよいかじや」 (フィリップ・アントルモン)
バッハの荘厳な曲調と比較すると、ヘンデルの音楽は
旋律がわかりやすく、響きも整っていて美しいですね。
ちなみに、よく優勝旗の授与で流れる「見よ勇者は帰る」もヘンデルの作曲です。
対位法による形式ばった曲が多かった当時を考えると、
この曲の旋律は大変親しみやすかったことが容易に想像できます。
バッハの曲調と比較するとより楽しめるかもしれません。
ヘンデル:見よ勇者は帰る
ハイドン(交響曲の父)(1732~1809)(オーストリア)
ユーモアと機智にとんだ大作曲家で、特に交響曲の形式をまとめあげ、大きな功績をのこしたことから、「交響曲の父」と呼ばれています。
彼はちいさいときからウィーン少年合唱団に入り、家でも家族で楽しく合唱や合奏をしていたそうで、まじめな性格から「パパハイドン」と親しまれていたそうです。
ハイドン:交響曲第94番『驚愕』2楽章
Haydn : Symphony No. 94, 'Surprise', 2nd movement
『驚愕』の第2楽章ではアンダンテの静かで美しい旋律に浸っていると
突然ffの大音量で演奏されるという場面があります。
当時は室内楽が中心ですから、多くの楽器が使われる「交響曲」は大変真新しく、豪華で華やかだったことでしょう。
しかし、これを聴く貴族の人びとはよく居眠りをしていたそうです。
ハイドンはこれに腹をたて、この曲を書いたとされています。
初めて聞いた人はその音量のギャップに『驚愕』し、
目を覚ますことでしょう。
ハイドンは「交響曲」という音楽の形式をしっかりと形作っていきながら、『驚愕』や、時計をモチーフにした曲を書くなど、ユーモアあふれる曲を書いた人でした。
モーツァルト(神童)(1756~1791)(オーストリア)
35歳の短い生涯で、普通の人が何十年かけてもできない音楽をたくさん残しています。
4歳のときに姉の真似事でピアノをひきはじめ、「神童」と呼ばれました。
彼は記憶力もすさまじく、当時複雑すぎて門外不出とされていたバチカン王国の礼拝堂の合唱曲を一度聞いただけで、後日楽譜に書き直したという逸話があります。
モーツァルト:ホルン協奏曲第1番ニ長調(K412)
Wolfgang Amadeus Mozart - Horn Concerto No. 1, K. 412
モーツァルトは現代でも見劣りしないほど親しみやすく、きらびやかな旋律を残しています。
このころ親しみやすいとされていたハイドンの曲と比較しても、
この旋律は段違いに洗練されています。
当時、モーツァルトの旋律は大変な衝撃だったことでしょう。
モーツァルト:交響曲第41番『ジュピター』
Wolfgang Amadeus Mozart: Symphony No. 41 in C major "Jupiter" K. 551 (1788)
モーツァルトはソナタや歌劇、交響曲など、様々な形式の曲を残しています。
中でも交響曲41番『ジュピター』はギリシャ神話の主神ジュピターを思わせるような堂々とした感じの曲です。
全4楽章の異なる曲を使って一つの標題を表現しています。
このころより昔の17世紀ごろの組曲は、感じの異なる複数の曲をただ組み合わせたものでした。
この辺りから、ハイドンの働きもあり、
複数の曲を組み合わせてまとまりのある音楽として表現する動き
が起こってきています。
ベートーベン(楽聖)(1770~1827)(ドイツ)
ベートーベンはドイツのライン川のほとりのボンという町で生まれました。
小さい時に父から厳しい音楽指導をされ、モーツァルトのように天才ではありませんでしたが、努力によって音楽を作り上げた人です。
30歳ごろから耳が聞こえなくなりはじめ、難聴の苦しみに耐えながら、世の中のために素晴らしい音楽をと、懸命に作曲を続けました。
偉大なベートーベンは「楽聖」と呼ばれ尊敬されています。
ベートーベン:交響曲第3番『英雄』
Beethoven: Symphony no. 3 in E flat major "Eroica", op. 55
初期の傑作であり、自由の旗を掲げていたナポレオンのために書いたとされています。
しかし、ナポレオンが独裁者となったためにそれに激怒し、題名を『一人の偉人の思い出』に変更したというエピソードが有名です。
この曲は、編成が非常に大きくなっており、当時では信じられないほど豪華な曲だったことが伺えます。
交響曲第1番、2番はハイドンやモーツァルトと同規模の編成で曲を書いていましたから、ナポレオンの偉大さを表現するために規模を大きくしたのかもしれません。
この曲は最終的にナポレオンに献上されることはなく、貴族のロプコヴィッツ侯爵に渡っとされていて、初演も彼の豪邸で行われました。
これはwikipedia情報だから今後訂正が入るかも、、、(/ω\)
こんな大規模な演奏会が家で行われているなんて、当時の貴族は本当に裕福だったのでしょうね。
ベートーベン:交響曲第5番『運命』
Beethoven: Symphony no. 5 in C minor, op.67
ベートーベンと言えばこの曲、『運命』です。
交響曲第3番と同程度の編成で、当時の背景を考えるとこの曲も大規模で豪華な曲だったことが伺えます。
また、このあたりから、徐々に旋律ありきの音楽から
複雑な和声で音楽を表現をする
ような動きが始まっています。
16:36~からの第3楽章を聞いてみてください。
旋律と伴奏という分けるのではなく、和声によって音楽を作り上げていることを感じていただけるかと思います。
そして、ついでそのままに21:12~からの最終楽章も聞いてほしい!
ベートーベンは
「苦しみや困難を乗り越えた先によろこびがある」
という気持ちで一生を過ごしたとされています。
この最終楽章では、難聴の苦しみのさきに必ずや喜びがあるというベートーベンの強い信念を感じていただけるのではないでしょうか?
『運命』をなんだか暗い曲と思っている人も多いと思いますが、そうではなく、「苦難を乗り越えた先の喜び」をベートーベンが必死に表現している曲なのだなと私は思います。
ベートーベン:交響曲第9番『合唱付き』
Beethoven: Symphony no. 9 in D minor, op.125
ベートーベン最後の交響曲です。
耳が完全に聞こえなくなっていたベートーベンは、初演の際、お客の拍手が聞こえなかったといわれています。
ベートーベンはついにこの曲で和声の音楽を大成させます。
この曲の最終楽章は「歓喜の歌」と言われ今なお愛されています。
ベートーベンは耳が完全に聞こえなくなった後でさえも、苦悩の先によろこびがあるという心を忘れなったのでしょう。
この不屈の精神から、まさに「楽聖」として尊敬されていることがよくわかります。
古典派時代のまとめ
・バッハによる対位法
・ベートーベンによる和声音楽
の完成により、この時代は音楽が進化し、一つのまとまりとして音楽を表現する動きが盛んになった時代でした。
それぞれ活躍した作曲家たちの曲を聴き比べると、たった100年足らずの期間にもかかわらず、大きな違いを感じることができますね。(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
ロマン派の時代(19世紀~20世紀)
ロマン派の時代はクラシック音楽の全盛期と言われる時代です。
18世紀の後半になると自由主義思想が盛んになり、商工業の発達につれて封建的な社会が崩れ始めました。
人びとは、人間としての自覚や、民族としての意識をより具体的な形に表すようになりました。
音楽も、貴族に仕え教会を中心としていたものから、音楽家として独立して、音楽それ自体を目的として作られていきました。
音楽は旋律や和音がより一層自由に表現され、歌劇や歌曲がますます発展し、より多彩な表現がされるようになっていきました。
古典派時代と比較すると、ヨーロッパ全域に音楽が広がったことがわかりますね。
この時代の音楽はオペラや歌曲が多いです。早速見ていきましょう。(^^♪
ロッシーニ(1729~1868)(イタリア)
イタリアのペサロ出身。音楽に恵まれた家庭で育ち、24歳で「セビリアの理髪師」を発表。イタリアで歌劇が優れるのはロッシーニのおかげだといわれている。
ロッシーニ:歌劇『ウィリアウム・テル』序曲
Gioachino Rossini - William Tell Overture (1829)
Andante 0:00~ からはアルプス山脈に囲まれたスイスの夜明けを表しています。
Allegro 3:34~ からは嵐を表現しています。
Andante 6:13~ からは嵐の後の羊飼いの笛を表しています。イングリッシュホルンの旋律が山々にこだましている感じを表しています。
Allegro vivace 8:56~ からはスイス軍の勇ましい行進を表しています。
お馬さんの蹄の音が聞こえるような、それでいてスイス軍の行進の姿も浮かぶような気がしますね。
この曲は歌劇『ウィリアウム・テル』の序曲として作曲されました。
歌劇『ウィリアウム・テル』は悪い代官を懲らしめてスイスを救う話です。
舞台であるスイスの情景が目に浮かぶよう、巧みに旋律と和音が使用されています。
歌劇の序曲は講演の前に演奏されるもので、いわゆるオープニングです。
冒頭の山々にスイスの夜明けや、嵐、羊飼いの笛、軍隊の行進など、物語の舞台へ一気に引っ張り込まれます。
この曲が作曲されたのはベートーベンの第9の少し後です。
当時はまだ旋律や和声で自由に表現するという動きが始まったばかりでしたから、そんな中でここまで情緒的で、かつ舞台の情景を巧みに表現するとは
驚きです。Σ(・□・;)
シューベルト(歌劇の王)(1797~1827)(オーストリア)
オーストリアのウィーン郊外、リヒテンタール出身。14人兄弟の一人として生まれ、小さい時からその才能を発揮していました。
彼はいつも紙をもっていて、旋律を思いつくとすぐに書き留めていたそうです。
彼は友人に支えられながら、31歳で死ぬまでになんと600曲もの歌劇を残しており、「歌劇の王」と呼ばれています。
シューベルト:交響曲第8番『未完成』
[Sawallisch] Schubert: Unfinished Symphony No.8
この曲は第3楽章の途中までしか作られなかったため、『未完成』と呼ばれています。
第1楽章と第2楽章のみでよく演奏されますが、交響曲としては申し分ありません。
この曲が完成したのはベートーベンの第9と同時期です。
当時流行していた対位法や親しみやすい旋律ありきの音楽ではなく、
自由な発想で音楽を作っており
とても革新的だったことでしょう。(゚д゚)(。_。)ウン
彼はこの曲を31歳の若さで書いており、若き天才であったことがうかがえますね。
シューベルト:『アベ・マリア』
Schubert. Ave Maria. Piano y Soprano. Partitura Interpretación
シューベルトがなくなる2年ほどまえに作曲された曲で、聖母マリアをたたえた、気品高く美しい曲です。
この曲からも、古典派音楽と一線を画す、表現豊かな音楽がうかがえますね。
メンデルスゾーン(1809~1847)(ドイツ)
ドイツ・ハンブルグの恵まれた家庭に生まれた。9歳で演奏会をひらいてピアノを弾き、モーツァルトのような神童ぶりを発揮しましたが、38歳の若さで亡くなった。彼は
明るく美しい曲をたくさん残しています。
メンデルスゾーン:結婚行進曲
Mendelssohn A Midsummer Night's Dream - Wedding March
結婚と言えばこの曲。これはメンデルスゾーンの曲なのですね。
美しい和声と調和した親しみやすい旋律が特徴です。
この曲はどこか古典派時代のヘンデルやモーツァルトと似た雰囲気を感じます。
しかし、古典派時代の音楽とは比較にならないほど和声的に充実しており、
ダイナミックな音楽になっているように思えます。
メンデルスゾーン:吹奏楽のための序曲
Mendelssohn - Overture for winds in C major Op 24 - Abbado - London Symphony Orchestra
これは彼が15歳で書いたとされる曲ですが、このころは1824年。
ロマン派の音楽の動きが始まったばかりの時でしたから、この曲は古典派チックな曲となっています。
きれいな響きの中に整った旋律を並べていくというスタイルです。
私は過去にこの曲の指揮を振ったことがありましたが、「彼は15歳でこんな曲を書くなんてすごい!」「当時は貴族の音楽が主流だから貴族のつもりになって演奏しよう!」などと、ふわふわしたイメージしかプレイヤーに伝えることはできませんでした。
音楽史を勉強した今ならば、古典派の音楽と、ロマン派の初期の音楽をみんなに聞かせ、ロマン派の動きがある中で、メンデルスゾーンは過去のお手本に則って、古典派の曲を書いたんじゃないかなと話をすることでしょう。
うむ。
やはり音楽の勉強をしていない自分は愚かでした。
今では以前よりももう一歩、この曲の良さが分かる気がします。
ショパン(ピアノの詩人)(1810~1849)(ポーランド)
ショパンはポーランドで生まれ、「ピアノの詩人」と言われるほど、ピアノ曲を多く残した人です。かれは8歳の時に演奏会を開き、18歳でパリに出て、才能を認めらました。しかし、貧乏と病気のため、若くして亡くなっています。
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調
Chopin - Fantaisie Impromptu, Op. 66 (Rubinstein)
古典派時代では考えられないほど自由な旋律と和声の音楽です。
ロマン派時代にはこのように
独自の音楽を追求する動きが活発になってきたのですね。(^^♪
リスト(ピアノの王)(1811~1886)(ハンガリー)
ハンガリーの代表的な作曲家で、ピアノの名人として有名です。
ベートーベンもリストの演奏を聴いて大変驚いたそうです。
リスト:「ラ・カンパネラ」
Liszt Paganini Etude S.161 No.3 "La Campenella" (Li)
これはパガニーニのヴァイオリン協奏曲をピアノに編曲したものです。
現在でもよく演奏されるほど親しまれている曲ですが、ショパンの独創的な音楽とはまた異なった形で大変ドラマチックな音楽を感じられます。
パガニーニは古典派からロマン派の間に活躍した音楽家で、「悪魔に魂を売って手に入れた」とされるほどヴァイオリンの腕がすばらしく、リストも彼の演奏を聞いて感銘を受けたそうです。
パガニーニ版では古典派時代の旋律ありきの音楽を主とした
美しい音楽となっています。
リスト:ハンガリア狂詩曲 第2番
Liszt Hungarian Rhapsody No.2 with Rachmaninoff's Cadenza
19曲あるハンガリア狂詩曲のなかでも、特に親しまれているのがこの曲。
故郷の民謡を題材にした華やかなピアノ曲です。
この民謡音楽を取り上げる動きは、のちの国民楽派につながっていきます。
ワーグナー(1813~1883)(ドイツ)
ドイツのライプチヒに生まれました。はじめはイタリアやドイツの例にならって、旋律を主とした歌劇を作っていましたが、音楽と劇とが釣り合った力強い歌劇作品を作ることに努力しました。
ワーグナー:『ローエングリン』から「祝婚の合唱」
Richard Wagner: Lohengrin - Vorspiel 3. Akt und "Wedding March"
3:10~からは結婚行進曲としても有名ですね。
合唱とオーケストラの良さを見事に引き立てあい、音楽の魅力を高めていることがうかがえます。
以前の歌劇では歌のみがメインか楽器のみがメインだったため、
この曲は大変革新的だったことでしょう。Σ(・□・;)
ワーグナー:『ローエングリン』から「エルザの大聖堂への行進」
佐渡 裕&シエナ・ウインド・オーケストラ / エルザの大聖堂への入場
この曲は歌劇『ローエングリン』の第2幕第4場、ローエングリンとの婚礼のため、礼拝堂に向かうエルザの行列が進んでいく場面で演奏される曲です。
オーケストラで演奏されることはめったにありませんが、
吹奏楽では大変人気な曲です。(^^♪
この曲が有名になったきっかけは、
1966年に豊島十中という中学校がコンクールの自由曲で
この曲の吹奏楽版(ルシアン・カイエ編曲)を演奏して
全国大会で優勝したことに由来すると言われています。
※このころはまだ金賞、銀賞、銅賞のグループ表彰ではなかった。当時、中学生の体では発達が不十分であることから、レガートの曲や荘厳な曲の演奏は困難とされていたそうです。
そんな中、豊島十中は大人顔負けのエルザを演奏してのけたそうで、伝説となっています。
ベルディ(歌劇の王)(1813~1901)(イタリア)
イタリアの農村の宿屋の子供として生まれました。小さいときに合唱団に入って歌っていましたが、そこで才能を買われ、ミラノで音楽学校に入って作曲を始めました。
劇的な曲を多く残し「歌劇の王」と呼ばれています。
ベルディ:歌劇『アイーダ』凱旋行進曲
Verdi Opera Aida - Gloria all' Egitto, Triumphal March - HD
オペラ「アイーダ」の第2幕第2場で演奏されるこの曲は今でも大変親しまれています。
「アイーダ」はとても壮大なオペラで、衣装や部隊も大変豪華です。
そんな豪華なオペラでは通常オーケストラピットに隠れて演奏しますが、とある楽器は舞台上で演奏し、華やかさに一役買います。
その楽器とは「アイーダトランペット」とよばれる、アイーダのためだけに作られたトランペットです!
3:43あたりで演奏している楽器ですね。(#^^#)
ビゼー(1838~1875)(フランス)
パリ生まれ、父は音楽の先生でした。小さいときから音楽を学び、作曲の天才といわれていました。38歳の若さでこの世を去りますが、死後に「カルメン」が有名になりました。
ビゼー:『アルルの女』第1、第2組曲
ビゼー:アルルの女(第1組曲・第2組曲)、カルメン組曲 カラヤン ベルリンフィル
《アルルの女》第1組曲
1 前奏曲 Allegro deciso (Tempo di Marcia) Andantino - Andante molto 0:00
2 メヌエット Allegro giocoso 7:07
3 アダージェット Adagio 9:59
4 鐘(カリヨン) Allegro moderato - Andantino - TempoⅠ 13:30
《アルルの女》第2組曲
1 パストラール Andante sostenuto assai - Andantino - TempoⅠ 17:34
2 間奏曲 Andante moderato ma con moto - Allegro moderato 23:22
3 メヌエット Andantino quasi allegretto 29:00
4 ファランドール Allegro deciso (Tempo di Marcia) - Allegro vivo e deciso 33:03
この曲は戯曲『アルルの女』のために作曲されたものです。
原曲は27曲ありますが、ビゼーはその中から4曲選び組曲としました。
その後、親友によってさらに4曲を第2組曲としてまとめられました。
0:00~からの旋律は「アルルの女」の旋律として有名ですが、
実はフランス民謡『三人の王様の行進』の引用になっています。
リストと同じく、自身の故郷の民謡を引用する動きが徐々に出てきていることがうかがえますね。(*^-^*)
三人の王様の行進 峯陽作詞・フランス民謡 La Marche des Rois
『アルルの女』はサックスが活躍する数少ないクラシック曲の一つです。
3:20~あたりからは非常に美しい旋律をサックスが情緒的に奏でます。
特に「間奏曲」のsoloは有名です。25:00~からのサックスsoloは本当に美しく、優しい旋律をサックスが歌い上げます。
サックス吹きの人はぜひ一度聞いてみてください。
オーケストラでもサックスが活躍できるんですね。(^^)/
ビゼー:歌劇『カルメン』序曲
Bizet. Ópera Carmen. Acto I. Preludio. Partitura. Interpretación.
この曲は今でも大変人気で、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
歌劇『カルメン』ではこの曲のほかにも「ハバネラ」など、有名な曲がたくさん出てきます。
古典時代のオペラと比較すると本当に親しみやすく、情緒に富んだ様々な曲が一つのオペラに使用されています。
この時代にオペラが大変な発展を遂げたことがうかがえますね。(^^)/
サン・サーンス(1835~1921)(フランス)
パリの国立音楽院を卒業した大作曲家で、ピアノの名人でもありました。指揮者としても活躍しており、詩や絵画にも精通して様々な才能を発揮しました。86歳で亡くなった際には、フランスの国葬としてあつく葬られました。
サン・サーンス:組曲『動物の謝肉祭』
Saint-Saëns - Le carnaval des animaux (The Carnival of the Animals) (1886)
謝肉祭とはキリスト教のお祭りで、復活祭の40~50日前に行われるものです。
この曲はそれぞれの動物の特徴を音楽を通して面白く表しています。
特に3:22~からの「カメ」を聞いてみてください。
この旋律どこかで聞き覚えありませんか?(・・?
実は次に紹介するオッフェンバックの『天国と地獄』から引用されています。
しかも引用元の音楽は地獄で乱痴気騒ぎで大騒ぎという場面で、体育会でよく流れているあれです。
元の旋律をこれでもかとスローテンポにアレンジして亀を表現しています。
私はこれを聞くと、亀が乱痴気騒ぎに参加しようとするけど、その動作がすごくゆっくり、という情景を思い浮かべてしまって、クスリときてしまいます。
パロディと皮肉が聞いていて大変面白いですね。(*^-^*)
オッフェンバック(1819~1880)(フランス)
フランス式の喜歌劇の創始者です。1819年協会唱歌隊長のむすことしてうまれ、1833年音楽院に入学。チェロ科で音楽を研究しました。コミック座管弦楽団に入って学校を中退し、自分で勉強しました。
1849年にはフランス座の指揮者となり、自分の作品を発表し、後オペラに進んで多くの作品を残しています。
オッフェンバック:『天国と地獄』序曲
Jacques Offenbach - Ouverture "Orphée aux enfers"
8:22~からの旋律は体育会でよく流れるので、大変有名ですよね。
地獄の乱痴気騒ぎ具合が目に浮かぶような素晴らしい曲です。
サン・サーンスの『動物の謝肉祭』より「カメ」では、皮肉たっぷりにパロディされていました。
実は、オペレッタ『天国と地獄』もオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』のパロディ作品で皮肉もたっぷりです。
パロディ元では、神様に認められるほど深く愛し合っていた夫婦が、
『天国と地獄』ではお互いに浮気相手がいるほど夫婦中は冷め切っていたり、
パロディ元では妻の死の悲しみから神に冥界に行くことを決意しますが、
『天国と地獄』では、夫は世間体を気にして、仕方なく神様に冥界に行くことをお願いしたり、
神々の王と地獄の王が女好きで、美人なオルフェの妻を取り合ってしまう始末です。
サン・サーンスが引用したのは、もともとがこんなにもパロディ要素の強い曲だったからかもしれませんね。(;'∀')
ロマン派時代のまとめ
ロマン派の時代の音楽はオペラや歌曲にあふれていましたね。
またその内容も非常に情緒的、かつダイナミックで、古典派時代の音楽と比較するとわずか100年足らずで大きく音楽が変化したことがわかります。
どの曲も大変革新的だったことがうかがえますね。(^^♪
古典派時代とロマン派時代のまとめ
音楽理論的な観点で見ると、古典派時代では、ロマン派時代へとつながる基礎が出来上がっていきました。
特に、ベートーベンの和声的な表現はロマン派時代で大きく進化し、旋律と和声で表現することで複雑な人間の心情や、美しい情景までも音楽で表現できるようになりました。
また、音楽の文化について焦点を当ててみると、
古典派時代では音楽は貴族と教会が中心の文化でした。
しかし、ロマン派時代の音楽は封建制度の崩壊で、音楽それ自体に焦点が向けられ、爆発的に発展していることがわかりますね。
こうしてみると、現在でも広く行われている心情や情景の表現が一般的になったのはロマン派時代からで、ロマン派時代は現在の音楽の黎明期であり、様々な試みがなされていた時代と見えます。
ロマン派時代がクラシック音楽の全盛期と呼ばれ人気なのは、このように現在の音楽の基盤となっていて、予備知識がなくても現在の感覚で比較的楽しめるからかもしれませんね。
最後に
今回、古典派時代とロマン派時代をまとめてみて、この2つの時代は
現在の音楽に非常におおきな影響を与えた時代
ということがよくわかりました。
また、よく勉強していなかったこれまでの私は、チャイコフスキーとベートーベンを横並びで比較して、
「ベートーベンの『第9』ってなんかつまらなくね?なんで有名なの?『天国と地獄』のほうがおもしろくね???」とか思ってました。
勉強した今なら、
ベートーベンは旋律で表現することが主流だった当時に和声の考えを取り入れた革命家で偉大だし、
『天国と地獄』はもともとパロディ満載のオペラの曲で、お客さんを完全に笑わせにきているので、面白いのは当然で、
この二つを比べて優劣なんかつけられません。
このように、作曲家が活躍した時代で作曲家の見方は大きく異なります。
作曲家をとりまく当時の環境を知ることで、その曲の魅力が10倍にも100倍にも違って見えることでしょう。
というわけで、クラシック音楽に取り組むときはその作曲家が活躍した時代について、ぜひ少し調べてみてください。
とくに当時はどのような曲が世にあふれていたのか
という点は、その作曲意図を推し量るうえで非常に役立つことでしょう。
次回はロマン派の後期である国民楽派時代といよいよ現代の音楽についてまとめていきます。
お楽しみに!!
↓次回の記事はこちらからどうぞ
ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
今回使用した年表と地図を配布します。
ご自身の勉強にどうぞご活用ください。
音楽の歴史年表 - 年表作成サービス「THE TIMELINE」