サックス吹きのフレックス退社

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<今日の一曲>2021/01/31 シューベルト作曲 交響曲7(8)番『未完成』

皆さんこんにちは!

このブログの筆者のドミトリーです!(^^)/

 

実は毎日が何かしらの記念日!

私のTwitterでは、そんな毎日の記念日に合わせて毎日曲紹介をしています。

 

ここでは、Twitterの文字数制限により発信できなかった情報や、選定までの苦労を発信していきたいと思います。

コンサートのネタ探しや、音楽の小ネタ集めにどうぞご活用ください。(#^^#)

 

ーーー簡単な自己紹介ーーー

私は現在とある一般サークルのバンドで指揮者をしています。

しかしこれまで音楽の勉強を真面目にやったことがない「愚か者」でした。

ドラッカーの本を読んで、これを猛省し、現在は音楽の勉強をするようになりました。

ここでは音楽初心者から経験者まで、ご自身の音楽活動に役立つように、私が勉強したことをわかりやすく発信していきます!

 

dormitory0108.hatenablog.com

 

2021年1月31日(日)

今日は「生命保険の日」でした。

 

今から138年前(1882年)の今日、日本で初めての生命保険が支払われたことが報じられました。

ということで、生命保険や金融商品トップセールスマンたちが集うMDRT日本会が制定。

1月31日は「生命保険の日」となりました。

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そんな日に紹介した今日の一曲は

シューベルト作曲 交響曲7(8)番『未完成』

シューベルト交響曲は番号の改定が多いため、7番だったり8番だったりする。

自分が死んだら、このお金で頑張って生きてね、、、

死後も大切な人が困らないよう、用心するために加入する「生命保険」。

実は著名な音楽家は生命保険に加入しなくても、とある理由で多大なお金を遺族に残すことができます。

 

その理由とは、著作権の相続。

しかも死後50年間継続。(日本の場合)

 

ヒット曲を作り上げれば、死後50年も遺族に印税が入り続けることになるのです。

ヒット曲=生命保険みたいなものですね。(#^^#)

 

これを知った私は思いました。

シューベルトは資産相続のために『未完成』を世に出したのではないか?と。

 

『未完成』はシューベルトが亡くなる4年前に1,2楽章のみの状態で知人に送っています。

また、シューベルトが書きかけの曲を人に渡すのは非常に珍しいことです。*1

 

このことから、シューベルトは『未完成』を何とか世に出したかったのだと思います。

 

そして、死ぬ直前にどうしても世に曲を出したいっていったら、遺産相続じゃないの??

そう思った訳です。

 

実は、作りかけの『未完成』をなぜ世に出したのか、その理由は現在もわかっていません。

もしかしたら、遺産相続というのも真実かもしれないのです。

 

ということで今日はこの私の思いつきについて真面目に考察したいと思います。

シューベルト著作権を知ってたか?

まず、シューベルト著作権を認知していたのか調べました。

当時に著作権がなければ、この話は即終了ですからね。

 

シューベルトはロマン派の初期を先導したドイツの音楽家です。

活躍したのは1810年~1825年ごろ。

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シューベルト肖像画

当時の音楽についてはこちらを参照↓ 

 

Wikipediaの「著作権の歴史」から引用すると、「1794年に、ドイツにおける著作権の法律が、プロシアの議会で制定された。」と記載ありました。

 

 つまり、シューベルトが活躍していた時期はちょうど著作権の考えが広がりだした時期だと言えます。

このことから、シューベルト著作権を知っていたと言えるでしょう。

著作権を相続したい人がいたか?

著作権を知っていたとしても、相続する人がいなければ今回の話はおじゃんです。

 

そもそもシューベルトは生涯独身でしたから、妻や子供はいません。

しかし、シューベルトには13人の兄弟がいたことで有名です。

 

兄弟や両親のために著作権を相続したかったのではないか?と私は考えたわけです。

 

ということでシューベルトの家族関係を調べてみました。

『未完成』を知人に送った1822年に生きていた家族は「父と兄弟5人のみ」です。

 

意外にも兄弟の多くは存命ではなかったようで、母親も早くに亡くしていたみたいです。

とはいえ、まだ相続できる人が6人もいますから、著作権相続の線は残ります。

シューベルトは自身の死が近いことを感じていたか?

最後に、シューベルトは自身の死が迫っていることに気が付いていたかについて考えていきます。

生い先長ければ、曲が完成してから送ればよいわけですから、今回の「遺産相続のために作りかけでも急いで世に出した」という仮説は否定されます。

 

シューベルトの死因は現在もはっきりはしていませんが、定説は次の2つです。

・死去した年の10月にレストランで食べた魚料理がもとの腸チフス

・梅毒治療に使用した水銀による水銀中毒

 

チフスの場合、『未完成』の送付の後の話ですから、今回の私の考察は残念ながら違うという結果になります。

 

一方で、梅毒治療については非常に興味深い記載が「 国際フランツ・シューベルト協会」のHPにありました。

こちらを参照→シューベルトの本当の死因は

 

シューベルトが梅毒にかかったのは1818年ごろとされています。

そして1823年には最初の水銀による治療が開始されました。

これにより水銀中毒になっていたようで、同年、体調がすぐれない旨の手紙をシューベルト自身が書いています。

水銀の影響で髪の毛も抜け落ちてしまっていたそうです。

 

その後わずかな無症状時期を経て、1824年には再び重い症状に悩まされていたそうで、次のような手紙を記しています。

「ぼくは自分が世界中でもっとも不幸でもっともみじめな人間だ、と感じている。健康がもはや二度と回復しようとしない人間のことを考えてみてほしい。」

 

ということでシューベルトは、1824年にはすでに水銀中毒により死を意識していたといえるのではないでしょうか?

1824年というと、ちょうどシューベルトが『未完成』の楽譜を送付した時期です。

まとめ

『未完成』を作りかけの状態で送付した意図については現在もはっきりと分かっていません。

そして、「著作権が欲しくて送付した」という仮説を立て、ここまで考察を進めてきましたが、結局この仮説を否定できるだけの証拠は見つかりませんでした。

 

つまり結論は、

 

著作権が欲しくて送付した」かもしれない。

 

ということです。

 

歴史の考察を初めてやってみましたが、案外難しいというのが分かりました。

最初はこんな思い付きはすぐに否定されるにきまってると思ってましたが、十分な証拠がないため、完全に否定されることはありませんでした。

 

「確固たる証拠がなければどうとでもいえる」ということなのかもしれません。

 

一方で、今回この仮説を調べることで、シューベルトについてたくさん知ることができたことは大きな収穫です。

 

「歌劇の王」と呼ばれたシューベルト

ベートーベンと同時期に活躍した偉大な音楽家で、これまでの古典音楽から逸脱し、ロマン派の音楽を切り開いた人です。

 

理由ははっきりしませんが、そんな人が作りかけの状態でも世に出したかった『未完成』が、今なお愛されているというのは、本人にとって喜ばしいことだろうなと思います。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

あなたはなぜシューベルトが『未完成』を送付したと思いますか?

良かったらコメント欄に考察ください。

私が喜びます。

 

それでは次回の記事でまたお会いしましょう!お楽しみに!!!

 

 

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*1:シューベルトは、渡してないだけで書きかけの曲はたくさんある人です。(いつも紙を持ち歩いていて、思いついたらすぐ旋律をスケッチする人でした。)