簡単!音楽の歴史解説<前編>(音楽の起こり~17世紀まで)
こんにちは!
執筆者のドミトリーことドミです!
今日は音楽の歴史について発信したいと思います。
オーケストラをやっていてクラシック音楽をよく演奏する人は、音楽史について勉強しているかもしれません。
しかし、吹奏楽をしている人で昔の音楽を勉強している人は少ないのではないでしょうか?
実際私も10年以上吹奏楽に携わっていながら、音楽の歴史なんてほとんど勉強してませんでした。
クラシック音楽の印象は、
「古臭くて、退屈で、形式ばっている」
というイメージでしたね。
でもこのイメージは間違っていました。
クラシック音楽の世界は
「とても革新的で、きらびやかで、ユーモアのある世界」
だったのです。
今までクラシックの演奏会では寝てしまうこともありましたが、クラシック音楽の蜜の味を知ってしまった以上、今後私がクラシックの演奏会で寝ることはないでしょう。
さて、そんな前置きはいいんだ、さっさと音楽の歴史を教えろ!!という声がそろそろ聞こえてきそうですので、さっそく本題に移りたいと思います。
いきなりすべてを解説すると長くなるので、まずは音楽の土台ができた17世紀までの音楽について解説していきます。
今回の記事は水野允陽さん著の『音楽の歴史と音楽家』という本を参考に執筆しております。
音楽史の本の中で一番簡単そうなやつを図書館で借りてきました。(笑)
とってもわかりやすい本で、音楽史の入り口としては最適な本でした。
この記事を読めば、音楽が宗教と結びつきが強かったこと、いわゆる「クラシック音楽」はヨーロッパ中心に栄えた文化であり、文明の発達ともに発展してきて今があるという音楽の歴史がざっくりと理解していただけると思います。
ーーー簡単な自己紹介ーーー
私は現在とある一般サークルのバンドで指揮者をしています。
しかしこれまで音楽の勉強を真面目にやったことがない「愚か者」でした。
ドラッカーの本を読んで、これを猛省し、現在は音楽の勉強をするようになりました。
ここでは音楽初心者から経験者まで、ご自身の音楽活動に役立つように、私が勉強したことをわかりやすく発信していきます!
⇓本文ざっくりまるわかり!目次です。
音楽の歴史を知るとクラシック音楽の世界が身近なものに!
本記事の最初に音楽の歴史を知ることのメリットをお伝えしたいと思います。
そんなことはどうでもいい早く歴史がしりたい!
という方は読み飛ばしていただいて構いません。
音楽の歴史を知る一番のメリットは、
クラシック音楽の世界が身近になること
と思います。
クラシック音楽は「退屈だ」「静かでつまらない」「眠たくなる」という人がいます。
楽器の経験が10年以上ある私ですらそう思っていました。
しかしこれは正解でもあり間違いです。
先ほどの表現を正確にすると、
クラシックの音楽は現在の音楽と比べて「退屈だ」「静かでつまらない」「眠たくなる」
という表現が適切です。
現在の音楽は文明の発達によって表現豊かで、きらびやかで、様々な種類があります。
クラシック音楽の世界では技術も古く、形式ばったものが多いため、比較すると退屈に感じるのは当然だと思います。
例えるなら、折り畳み式の携帯電話が登場した当時はだれもが驚くものでしたが、
スマートフォンが普及している今、昔のいわゆるガラケーが新登場しても誰も驚かないことに似ています。
しかし次のことに気が付くとクラシック音楽の見方はガラリと変わります。
それは
現在の音楽はクラシックの音楽が発展したものである
ということです。
音楽の世界では昔の人もかなり試行錯誤しており、形式ばったものから自由な表現へ、小編成から大編成へ、単声から多声へと進化していきました。
その音楽の進化のなかで、特に革新的だった曲たちが大変な反響を呼び、今なお愛され、クラシック音楽というジャンルを形作っているのです。
つまり先ほどの表現を音楽史を勉強した私の感覚で表現するならこうです。
クラシック音楽は当時の音楽と比べると「革新的で」「きらびやかで」「ユーモラスである」
図で示すならこんな感じ。
よく「作曲者の周辺の時代背景を知ると、その人の曲をより楽しめる」といいますが、
まさにこの言葉の通りだと思います。
また、ここで注目したいのは、音楽の進化は今も止まっていないことです。
音楽の歴史を勉強すれば、クラシック音楽だけでなく、現在の音楽もどこが革新的で、面白いのかという見方が出てきて楽しむことができるのです。
ここまで読んできた方には「まだクラシック音楽が身近なものになるとは思えない」と疑問に思っている方もいることでしょう。
そんな方にはぜひ、この記事を最後までお読みいただきたい。
そして、晴れてクラシック音楽が楽しめるようになれたのなら、私にとってこれ以上嬉しいことはありません。
前置きが大変長くなりました。
それでは、音楽の歴史を私と一緒に振り返っていきましょう!
私のコメントは緑文字で書いていきます(^^)
古代の音楽(紀元前5000年~500年)
音楽の歴史は紀元前5000年ころから始まります。
音楽は文明と一緒に生まれました。
この時代は、文化が起こったペルシャ湾周辺の古代都市ウルから、ヨーロッパ全域のローマへと、文化と共に音楽が伝わっていき、ヨーロッパを中心に音楽が栄える基盤ができた時代です。
音楽の起こり
音楽の起源ははるか昔、言葉も文字もない紀元前5000年ころといわれています。
自然にでる音や体のうごきを使って音楽が作られていったとされています。
正直昔過ぎてあまりイメージ湧きませんね(;^ω^)
文明の起こりと最古の楽器
紀元前4000年ごろ、西南アジアでシュメール人による文化ができ始めます。
ペルシャ湾にほど近い古代都市ウルの遺跡からは楽器や、楽人の彫刻などが出土。
このころにはすでに管・弦・打楽器が存在していることがわかります。
楽器はすごく昔からあったのですねΣ(・□・;)
文化の広がり
紀元前3000年ころにはシュメール人の文化は周辺のエジプトやアッシリア・バビロニアへ広がります。さらに、アラビア・インド・中国へも広がりを見せました。
アッシリアの彫刻からは文化と共に音楽も伝えられたことがわかります。
昔は音楽と文化がセットで伝わっていったようですね(*^-^*)
古代ギリシャの音楽
古代ギリシャは紀元前2000年ごろから栄え、多くの文学や彫刻を残しただけでなく、音楽にも熱心で、音楽の研究も数多く行っていました。
ギリシャ人は文字による楽譜や、現在の音階の基礎となるようなものまで考え出していました。
このころはキタラというたて琴とアウロスというたて笛が人気でした。
古代ギリシャ人は楽譜や音階を発明したり、絵画や彫刻を多く残しているそうです。
とっても文化的な民族だったようですね。(^^♪
ローマの音楽
紀元前4世紀から勢力を強めていたローマに、ギリシャから文化とともに音楽が伝わります。
古代ローマ人は音楽よりも政治や戦争に熱心でした。
古代ローマの人々は音色の華やかな金属製のラッパを好み、軍隊で使われていました。
古代ローマの戦争好きは後にキリスト教の普及と音楽の広がりに大きくかかわってきます。
古代ギリシャ人と大きく異なって戦争をよくしていたそうです。あまり音楽が発展しなかった時代でもあります( ;∀;)
オルガンの誕生
紀元前145年、エジプトで初めてオルガンができます。
このころのオルガンは水オルガンといって、タンクにためた水とフイゴで圧縮した空気を送り込んで音を出していました。
オルガンはのちに改良されながらキリスト教会に取り入れられ、音楽の普及に役立ちます。
ついにオルガンの登場です!最初のオルガンは小さかったようですね。(^^)/
まとめ
以上を地図でまとめると、こんな感じに
文明が伝わるとともに音楽がヨーロッパに広がっていったことがよくわかりますね。
しかし、残念ながら当時の人たちがどんな音楽を楽しんでいたのかは、現在わかりません。楽譜がないからあくまで推定しかできないのです。
そう考えると楽譜は大事にしないといけませんね。むやみに失くしたりしてはいけません。
中世の音楽(500年~1600年)
文明も発達してきて、音楽にも大きな変化が訪れる時代です。
キリスト教徒ともに、教会音楽の文化がヨーロッパに広がりをみせるとともに、教会音楽以外の音楽を楽しみたいという人々によって次第に音楽の多様性が生まれます。
また、音楽の研究も進み楽譜の考えや対位法が確立された時代で、音楽はますます発展しました。
楽譜が発明されたため、このあたりから音楽の発展を詳細に知ることができます。
この時代の音楽は宗教に大きく影響を受けていたようです。(‘ω‘ )
キリスト教と教会音楽の広がり
ローマ帝国の勢いがもっとも盛んであったころに、ローマにキリスト教が伝わります。
その頃のローマは
戦争が繰り返され、ローマ市民の生活がおびやかされていました。
人々は平和を願ってキリスト教を信仰し始めたのです。
ローマ帝国の帝王は、キリスト教を邪教とし、キリスト教徒を迫害しました。
しかし人々は讃美歌を口ずさみ続け、信仰を捨てませんでした。
やがて、キリスト教はローマの国教となります。
キリスト教の音楽は、教会のつよい力に支えられ、北へ南へと広がりました。
戦争好きなローマ人の影響でキリスト教とともに音楽が広がったようです。
ローマ人の文化では音楽は発展しなかったことを考えると皮肉にも思えますね。(´;ω;`)
音階の考案
グレゴリウス1世は590年~604年にローマ法王であった人です。
彼はキリスト教を広めることに熱心で、
聖歌を広げるために8種類の音階を制定しました。
これを「グレゴリアン旋法」と言います。
この旋法によって630以上もの聖歌が定められ、教会で歌われるようになりました。
聖歌のために旋法(ドレミ的なもの)を定めるとは、その熱意はすごいものですね。Σ(・□・;)
記譜法の考案
新たな旋法により聖歌を定めることはできました。
しかし聖歌を普及させるためには
どうしても口伝え以外の方法が必要になってきました。
そこでネイマ譜という楽譜が考え出され、聖歌はより広く伝わっていきます。
ネイマ譜はその後発達して、16世紀の終わりごろには今のような五線譜が使用されるようになります。
旋法の次に楽譜も登場!
これのおかげで現在でも当時の音楽を知ることができるんですね。(^-^ )
みんなの音楽へ
12世紀ごろ、ヨーロッパの各地では民衆の音楽が盛んになりました。
教会の儀式的な曲以外にも、もっと自由な音楽を楽しみたいという人たちが出てきたのです。
こうして騎士や楽人の間に、教会から離れた音楽が広まっていきました。
その後封建制度が崩壊すると、騎士や楽人はしだいに庶民楽人にうつっていき、
民衆音楽はますます盛んになっていきました。
流行に逆らう人がいることはいつの時代も同じようです。
ここから音楽の多様性が生まれていくのですね。(^^ )
美しい響きある音楽への発達
14世紀になるとルネサンス運動とよばれる大きな文化運動がおこります。
楽器の改良がすすんで、音楽は現在の音楽に近いものへと進歩していきました。
また、教会音楽や民衆音楽が盛んになるにつれて、
研究による音楽の専門化が始まりました。
イタリアのベネチアではベネチア派と呼ばれる音楽グループができ、教会音楽にも複雑な音楽が取り入れられるようになりました。
ルネサンス運動は音楽だけでなく、絵画や文学など様々な文化に影響したそうです。
大きな運動だったようですね。Σ(・□・;)
宗教改革と教会音楽
ドイツのマルチン・ルーテル(1483~1546)におって宗教改革が起こります。
これにより、カトリック教会から分かれて新教(プロテスタント)が生まれ、教会音楽にも大きな変化を呼び込みました。
ルーテルは、大衆が歌えないような形式ばったむずかしい曲をなくし、歌いやすくて親しみやすい、美しい合唱を作曲して讃美歌に取り入れました。
この時代から、いくつもの旋律を重ねて音楽の表現をする対位法という理論が完成され、和声の重なりをたいせつにした音楽が生まれ、長調や短調も使われるようになりました。
このあたりから音楽に和声の考えが生まれたようです
音楽がだんだんと発展してきいることがわかりますね。(^-^ )
その頃の器楽曲
このころには楽器が発達してきて、あたらしい器楽の様式が生まれていきました。
組曲の誕生
16世紀ごろから、いろいろ感じの違った舞曲を合わせて1つの曲にまとめる「組曲」という様式が流行しました。
組曲ははじめリュートという楽器のためのものでしたが、次第にチェンバロのためにも作られていきました。
フーガの誕生
フーガもこのころ誕生します。対位法を使ってオルガンのために作曲されました。
初めてのフーガはピルラード(1490~1562)という人によってチェルカールという名で始められるが、17世紀になってフーガと呼ばれ始めます。
ソナタの誕生
当時はまだまとまった様式にに放っていませんでしたが、数曲を組み立て、組曲のような形で作られました。
チェンバロや、特にバイオリンのために作曲され、コレッリのは数十曲のバイオリンソナタを残しています。
コンチェルトの誕生
曲の構成が大きく、多くの楽器で合奏・協奏されるものが作られました。当時では最も大規模で華やかな形式です。
対位法と和声の発達だけでなく、音楽形式も模索する動きが出てきましたね。
現在の形とは異なる形式が多いですが、ここからどんどん試行錯誤が行われて、現在の形になっていくのでしょうね。(^^♪
まとめ
この時代の流れを地図でまとめるとこんな感じ。
キリスト教の普及とともに音楽が各地で広がっていったことがよくわかります。
宗教とともに音楽は広がったため、この時代の音楽は非常に宗教と結びつきが深いですね。
一方で、教会音楽以外の民衆音楽の流れがおきていることも面白いです。
当時の人たちも音楽がもつ多様性に気が付いていて、魅力に感じていたのでしょうね。
17世紀の音楽
17世紀は幻想豊かな創造の時代と言われ、オペラやオラトリオが世に生まれた時代で、次の古典派の時代への橋渡しとされています。
これまでは教会音楽が主役の時代であったのに対し、この時代から次第に音楽自体に焦点が当たり、より大規模に、より華やかに変化し始めます。
当時活躍した音楽家たちの地図を見てもらうとわかりやすいですが、当時はフランスやイタリアが音楽の中心でした。
この時代から音楽は目まぐるしい発展を遂げていきます。有名な作曲家も出てきますので、当時の曲を聴きながら学んでいきましょう。(^^)/
初めてのオペラ
16世紀ごろ、一種の音楽劇や舞踏会がおめでたい結婚式などで演じられていました。
しかしこれらはオペラと呼べるほど形として整ってはいませんでした。
16世紀の終わりごろ、イタリアのフローレンスで、バルディ伯爵がギリシャ悲劇の復活を計画します。この新しい音楽を模索する動きをもとにして、ペリやカッチーニがはじめてオペラとしての音楽を発表しました。
オペラはその後モンテベルディによって劇的な効果を盛り込むようになり、ローマやナポリで栄えていきました。
この時代にはついにオペラが誕生したようです。新しい音楽の動きに触発されてどんどん発展していったようですね。(*‘ω‘ *)
初めてのオラトリオ
この時代にはオラトリオ(宗教的な題材の大規模な音楽)も誕生しています。
ローマのサンタ・マリア寺院の聖僧ネリは、物語と音楽によって、キリスト教への信仰心を高めようとしました。
そこで、聖書のお話や教えをもとに劇を作り、讃美歌風の音楽を付けました。
はじめはあまり立派なものではありませんでしたが、のちに独唱、重唱、合唱と管弦楽も加わって大規模なものにまとめ上げられました。
1600年に、ローマの教会でカヴァリエリが初めてのオラトリオとなる宗教劇を上演しました。
オペラと同じようにオラトリオもこのあたりでできたようです。現在のオーケストラに近い形になってきましたね。(#^^#)
17世紀の音楽家たち
ここからはこの時代の有名な音楽家を曲と一緒に紹介します。
文字で読むよりも、実際に聞くほうが理解しやすいでしょう。
クープラン(1668~1733)フランス
チェンバロ音楽の第一人者で、ルイ14世の信頼があつく、宮廷のオルガニストでもありました。
彼のチェンバロの曲は大変美しいです。
いくつもの旋律が独自性を保ったまま調和する対位法の音楽がよくわかります。
クープラン, フランソワ: クラヴサン曲集 第1巻 第1組曲,No.1 14. 13.ブルボン家の女(ガヴォット) Pf.村井頌子:Shoko,Murai
コレッリ(1653~1713)イタリア
バイオリンのための曲をたくさん残しています。彼の合奏協奏曲は今でもよく演奏されています。
ここからも、当時は和声と対位法がいかに重視されているかわかりますね。(^^)/
Corelli: Concerto Grosso No. 4 in D major (Banchini) (1/2)
ビバルディ(1677~1741)
今でも大変有名はビバルディはこの時代の音楽家です。
彼はバイオリニストであった父から作曲の手ほどきをうけました。
成人してからはお坊さんにもなりましたが、1709年からはバイオリンの先生となり、演奏家、作曲家として有名になりました。
彼の合奏協奏曲は同時代および後世の人びとのモデルとなりました。
彼の作品を上げるならば、合奏協奏曲『四季』より「春」です。
様々な旋律を組み合わせることが主流だった当時にこの独奏バイオリンの協奏曲は画期的と言えるでしょう。(^^♪
まとめ
この時代は音楽が宗教から離れ、多様性が生まれた時代です。
現在でも演奏される作曲家たちも登場してきて、いよいよクラシック音楽の世界の始まりといった感じですね。
対位法が確立されてきて、かつ音楽形式も徐々に出来上がってきたこの時代の次は、どのように音楽が発展していくのでしょうか?
次回の中編(古典派~20世紀・ロマン派)をご期待ください。
↓次回の記事は下をクリック!
ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
この記事で気になった方は、ぜひご自分でいろいろ調べてみてください。
きっとクラシック音楽がより身近になって、あなたの音楽生活がより楽しくなることでしょう!!
今回使用した年表と地図を配布します。
ご自身の勉強にどうぞご活用ください。